小林秀雄の俳句論
2016年 07月 13日
小林秀雄と岡潔との対談本「人間の建設」の中に、小林が俳句に関して大変興味深いことを言っている。
小林の飲み仲間の骨董屋が亡くなる。息子が親父の一周忌に親父の句集を出したいので序文を書いてほしいと訪ねてくる。生前にそんな約束をしていたらしい。ちゃんと日記句帳に書いてあるという。それではということで、句帳をもってきてもらい見てみると、駄作(小林の毒舌だが)ばかりで俳句なんていうしろものではない。
ところが中に「小林秀雄を訪ねる」、「小林秀雄に」などの詞書に続けて、
「毒舌を逆らはずきく老いの春」「友来る嬉しからずや春の杯」といった俳句がある。駄作だが、その親友の骨董屋を知っているだけに味わい深いおもしろい俳句に感じたそうだ。
というのも、彼は李朝のいい徳利を持っていてそれを売りもせずに二十八年見せびらかせながら酒を酌み交わしてきたそうだ。そしてついに28年めに酔っぱらった勢いで「お前が危篤になって電報を打ったら返しに行くから」と言って小林がぶんどったという。ところが彼は電報を打つ前に亡くなってしまう。
まあこのような二人だけがよく知る事情があるので、彼の俳句はおもしろいとしみじみ感じたそうだ。「毒舌を逆らはずきく」というのは、小林が徳利を持って帰ったことで、ちょうどその日に詠まれた句だった。
また、「あれはああいふおもむきのもの海鼠かな」や
「二日月河豚啖(くら)はんと急ぐなり」
海鼠の味などお前たちにゃわからないという含意であり、柳橋で芸者をあげたときの芸者を河豚になぞらえていたりと、結局これらの俳句がわかるのは小林ひとりではないかと…
つまり実物を知っていて読んでおもしろいのが俳句だと小林はいう。芭蕉の名句と言われる句は、芭蕉につき合った人だけに分かっている何か微妙なものがあるのではないか?と小林は語っている。
けっきょく短詩型の悲哀というか鑑賞や批評には限界があるということでもあろう。第二の創造といった逃げで曖昧にしているが、作者をよく知らないと句の本意まではどうしてもつかめないということを改めて認識させられた。
小林の飲み仲間の骨董屋が亡くなる。息子が親父の一周忌に親父の句集を出したいので序文を書いてほしいと訪ねてくる。生前にそんな約束をしていたらしい。ちゃんと日記句帳に書いてあるという。それではということで、句帳をもってきてもらい見てみると、駄作(小林の毒舌だが)ばかりで俳句なんていうしろものではない。
ところが中に「小林秀雄を訪ねる」、「小林秀雄に」などの詞書に続けて、
「毒舌を逆らはずきく老いの春」「友来る嬉しからずや春の杯」といった俳句がある。駄作だが、その親友の骨董屋を知っているだけに味わい深いおもしろい俳句に感じたそうだ。
というのも、彼は李朝のいい徳利を持っていてそれを売りもせずに二十八年見せびらかせながら酒を酌み交わしてきたそうだ。そしてついに28年めに酔っぱらった勢いで「お前が危篤になって電報を打ったら返しに行くから」と言って小林がぶんどったという。ところが彼は電報を打つ前に亡くなってしまう。
まあこのような二人だけがよく知る事情があるので、彼の俳句はおもしろいとしみじみ感じたそうだ。「毒舌を逆らはずきく」というのは、小林が徳利を持って帰ったことで、ちょうどその日に詠まれた句だった。
また、「あれはああいふおもむきのもの海鼠かな」や
「二日月河豚啖(くら)はんと急ぐなり」
海鼠の味などお前たちにゃわからないという含意であり、柳橋で芸者をあげたときの芸者を河豚になぞらえていたりと、結局これらの俳句がわかるのは小林ひとりではないかと…
つまり実物を知っていて読んでおもしろいのが俳句だと小林はいう。芭蕉の名句と言われる句は、芭蕉につき合った人だけに分かっている何か微妙なものがあるのではないか?と小林は語っている。
けっきょく短詩型の悲哀というか鑑賞や批評には限界があるということでもあろう。第二の創造といった逃げで曖昧にしているが、作者をよく知らないと句の本意まではどうしてもつかめないということを改めて認識させられた。
by attainmentofall8
| 2016-07-13 23:40
| 俳句/短歌/川柳
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