歴史資料館訪問
2016年 06月 16日
山本実彦関係の資料を多数収蔵する薩摩川内まごころ文学館に、先日友人と資料閲覧の件で相談に行った。きょう、あらためて出かけたところ館長と担当の学芸員に丁寧に対応していただき有り難いことであった。
その足で、大浦兼武関係の資料を探すためにさつま町の宮之城歴史資料センターに出かけた。幸いに大雨のため来館者が一人しかいなくて、館員のかたに丁重に対応していただいた。しかしながらやはり書簡類は申請書類をだして許可の上でなくては閲覧できないということだった。
歴史資料センターは、虎居城址が眼前にひろがり蛇行する川内川が見下ろせる位置に建っている。島津義久・義弘の弟歳久が居城していた城である。歳久が兄義久公より祁答院の地を賜ったのは天正8年(1581)のことである。
天正14年に歳久は秀吉より島津が大友と和議を結ぶことを勧告される。それを受け「秀吉は…匹夫より起り、位人臣の栄を極む。この際六州二百万石の封を受け快く大友氏と和議を結ぶこと、本望なり」と義久以下居並ぶ重臣たちの前で述べるも、却下される。
その後、島津は秀吉の軍門に降るわけだが、歳久は秀吉・義久の和睦寺として有名な泰平寺にも表敬訪問することなく徹底抗戦を主張する。結局義久より討伐軍を送られ自害する悲運の武将である。
急ぎ足の慌しい一日であったが、今後につながる貴重な一日になった。