法話を聴いて
2014年 03月 10日
先日ある高名なお坊さんの話を聞く機会があった。
「恩」とは、大きな敷物の上に大の字に寝ていて、気持ちよく目覚めた時の心を表している。この心は結果であるが、原因として敷物がある。それをお蔭さまと感じ取れる感性(感受性)を、この字は表しているのだそうだ。 白川静の字訓で確認していないが、法話なのでありがたくそう信じたい。
日々の生活の中で、この「ご恩」という言葉があまり聞かれなくなった。これは、一人ひとりの心の中にそのようなことを思い、感じる気持ちが無くなってきているのではないか。耳にしなくなった言葉を拾えば、心の変化、社会の変化をみることができる。
例えば、年齢×365×3という数字を考えた時、食事や水、米粒ひとつに対しても、恵まれて戴いて生かされているという「命の因」として響いて、感じ取れる気持ちが生まれれば、言葉遣いや生き方そのものが変わってくる。
子どもへの接し方にしても、小さい子供であればあるほど全身で聴いて見て感じ取っているだけに、心を込めた言葉遣いが必要である。お天道様が見ていらっしゃる、なんなんさんが見ておられる、まんまんちゃんがみておるで、など表現は違っても、人間の眼だけが見ているのではなく人を越えた存在が見ているというその緊張感が子どもの心に植え付けられえる。いじめ問題にしても、大人社会の反映でもあるのだが、このような言葉が心にあるかないかで一生が変わってくる。
要するに、言葉に宿る霊力、言霊の存在を意識化することと、人間を超越した存在があることをイメージできる感性とそれに対する感謝の気持ちを持たなければならないということであろうと理解した。
「恩」とは、大きな敷物の上に大の字に寝ていて、気持ちよく目覚めた時の心を表している。この心は結果であるが、原因として敷物がある。それをお蔭さまと感じ取れる感性(感受性)を、この字は表しているのだそうだ。 白川静の字訓で確認していないが、法話なのでありがたくそう信じたい。
日々の生活の中で、この「ご恩」という言葉があまり聞かれなくなった。これは、一人ひとりの心の中にそのようなことを思い、感じる気持ちが無くなってきているのではないか。耳にしなくなった言葉を拾えば、心の変化、社会の変化をみることができる。
例えば、年齢×365×3という数字を考えた時、食事や水、米粒ひとつに対しても、恵まれて戴いて生かされているという「命の因」として響いて、感じ取れる気持ちが生まれれば、言葉遣いや生き方そのものが変わってくる。
子どもへの接し方にしても、小さい子供であればあるほど全身で聴いて見て感じ取っているだけに、心を込めた言葉遣いが必要である。お天道様が見ていらっしゃる、なんなんさんが見ておられる、まんまんちゃんがみておるで、など表現は違っても、人間の眼だけが見ているのではなく人を越えた存在が見ているというその緊張感が子どもの心に植え付けられえる。いじめ問題にしても、大人社会の反映でもあるのだが、このような言葉が心にあるかないかで一生が変わってくる。
要するに、言葉に宿る霊力、言霊の存在を意識化することと、人間を超越した存在があることをイメージできる感性とそれに対する感謝の気持ちを持たなければならないということであろうと理解した。
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校長
at 2014-03-11 01:10
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小さいころ、よく悪い事したら「バチが当たるぞ」と叱られたものです。バチとは目に見えぬ恐ろしいことと、肝に銘じていたものです。今の子供には通用しないのかも。お天道さんが見ておられる というのも同じですね。
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attainmentofall8 at 2014-03-11 13:19
校長先生は、そういう環境で育たれたから校長先生なんですね、たぶん。(^^)v
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kojiro-nomama at 2014-03-12 15:13
attainmentofall8さん
朝日新聞にさむちゃん先生の川柳をアップしてありますよ!!
朝日新聞にさむちゃん先生の川柳をアップしてありますよ!!
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attainmentofall8 at 2014-03-12 16:59
ありがとうございます~。
by attainmentofall8
| 2014-03-10 19:00
| 雑感
|
Comments(4)