落首の返し句
2014年 02月 04日
名人の剣二刀のごとく見え
これは、金森徳次郎の川柳として、青山浩一郎氏が自身のブログ「金融論茶話」の中で紹介しておられる。おもしろいエピソードだと思ったので引用させていただいた。
金森徳次郎(1886~1959)は、戦前岡田啓介内閣の法制局長官に就任するも天皇機関説論者として非難されて辞職。戦後は吉田茂内閣の国務大臣として憲法改正を担当して、憲法大臣の異名をとった憲法学者である。
青山氏は、古書店で、「偽徒然草」尾崎士郎著(昭和30年3月、実業之世界社)を入手され、「私の憲法観」P33-36に注目された。
『新憲法が制定されたとき、参議院の壁に落首するものがあった。
「金森は二刀流かな国体を変えたるくせに変えぬとぞいう」というのである。
落首の筆者は当時、参議院議員であった山本有三氏であるということであったが、真偽はもとより私の知るところではない。』
これに対して、金森氏が一矢報いて作ったのが、冒頭の川柳だそうだ。
『「第一条 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」という表現は、金森氏の、苦心のもっとも難渋を極めたところのものであるらしい。
私は象徴という文字の示すところに、金森氏の抵抗を感ずる。
言葉は曖昧模糊としているが、しかし韜晦な表現ではない。
当時の日本の置かれた最悪の政治環境と最悪の社会的事情の中にあって、庶民生活の安泰を期する感情の、もっとも率直な動きを把握したものというべきである。
参議院の落首は、この「象徴」という言葉の示す茫乎として悠遠なるものを一つの角度において諷刺したものであろうと思う。』
日本国憲法は、当時のGHQ占領下で、吉田首相の意向を受けた「負けて勝つ」戦略が生みだした最善の憲法であったと言えるかもしれない。
それより落首にたいして、吞舟の魚のみごとな返し句が光る。
これは、金森徳次郎の川柳として、青山浩一郎氏が自身のブログ「金融論茶話」の中で紹介しておられる。おもしろいエピソードだと思ったので引用させていただいた。
金森徳次郎(1886~1959)は、戦前岡田啓介内閣の法制局長官に就任するも天皇機関説論者として非難されて辞職。戦後は吉田茂内閣の国務大臣として憲法改正を担当して、憲法大臣の異名をとった憲法学者である。
青山氏は、古書店で、「偽徒然草」尾崎士郎著(昭和30年3月、実業之世界社)を入手され、「私の憲法観」P33-36に注目された。
『新憲法が制定されたとき、参議院の壁に落首するものがあった。
「金森は二刀流かな国体を変えたるくせに変えぬとぞいう」というのである。
落首の筆者は当時、参議院議員であった山本有三氏であるということであったが、真偽はもとより私の知るところではない。』
これに対して、金森氏が一矢報いて作ったのが、冒頭の川柳だそうだ。
『「第一条 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」という表現は、金森氏の、苦心のもっとも難渋を極めたところのものであるらしい。
私は象徴という文字の示すところに、金森氏の抵抗を感ずる。
言葉は曖昧模糊としているが、しかし韜晦な表現ではない。
当時の日本の置かれた最悪の政治環境と最悪の社会的事情の中にあって、庶民生活の安泰を期する感情の、もっとも率直な動きを把握したものというべきである。
参議院の落首は、この「象徴」という言葉の示す茫乎として悠遠なるものを一つの角度において諷刺したものであろうと思う。』
日本国憲法は、当時のGHQ占領下で、吉田首相の意向を受けた「負けて勝つ」戦略が生みだした最善の憲法であったと言えるかもしれない。
それより落首にたいして、吞舟の魚のみごとな返し句が光る。
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kojiro-nomama at 2014-02-06 08:32
今日のさむちゃん先生の講義は、私の脳みそには
いささか厳しいです。読書百ぺん意 自ずから通ず
と言いますので実行して見ます。2月9日の女流川柳大会鹿児島へいざ出陣!!
いささか厳しいです。読書百ぺん意 自ずから通ず
と言いますので実行して見ます。2月9日の女流川柳大会鹿児島へいざ出陣!!
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attainmentofall8 at 2014-02-06 16:20
kojiro-nomamaさん、女流大会頑張ってください。(^^)V
by attainmentofall8
| 2014-02-04 23:27
| 俳句/短歌/川柳
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Comments(2)