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日々の雑感


by さむちゃん
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句の解釈 その2

川柳の句会で、「わからないけど何となくいい」という表現をときどき耳にする。言葉の組み合わせや措辞から直観的に何かを感じ取っているのだろう。誤解から生じた直観であろうと、すでに読者の掌中にあるのであればどう読み取ろうと勝手である。作者であっても、読者にどう読み取られようと文句を言えた義理ではない。あいまい性、多義性において作者側に罪の一端はあるのだから。

川柳葦群第20号に「鉛筆の芯から歩く花野まで」という句を、大西泰世氏が全号より選句してコメントされている。抜粋すると『<鉛筆の芯>と<花野まで>のギャップをどう読むか、読者冥利に尽きるような一句である。すんなりと一句の不思議さを受け入れて、その空間こそ読者のものとあれこれ想像しながら埋めていくのも十七文字の醍醐味。』

このコメントを読む限りにおいては、<鉛筆の芯>と<花野まで>の措辞を愛でているのみで、内容に関しては不思議を受け入れようということらしい。「AからBまで」という表現に固執されているように思う。そのギャップを想像してほしいとのたまっている。しかしまあ、罪つくりな句を作ったものだ。作者に訊いてみるしかないが…想像力をたくましくして推察するとこんな感じだろうか。

筆が走るという表現があるが、走るまではいかない「歩く」として、鉛筆(の芯)のほうから勝手に歩き始めて花野にたどり着いた。花野は秋の草花の咲き乱れている野のことだが、書こうとしていたものが成就した、完成したということだろう。川柳でもなんでも文芸の境地は無意識的に筆が走ってくれて紙に乗ってくれることだ。意識せずとも鉛筆の芯の方から動いてくれて、思っていたことが文字になった喜びが暗示されているような句ではないかと思う。

川柳 番傘1月号の誌友・巻頭作の「相打ちの時々痛む傷を持つ  緒方章」という句を、選者の片岡湖風氏は「ともしび」欄でコメントされている。相打ちは剣道で打たれて赤く腫れ上がった傷で、お互い痛みに耐えて竹刀を合わせる、それこそが武道の心意気だと。

そういう解釈もあり得るだろうが、むしろ心象風景が色濃く反映された句だと思う。「時々」がポイントになる。剣道の傷ならば痛みが引くまでは、継続的な痛みであって時々とはならないはずだ。相打ちは勝ち負けがないアイコのことである。勝負がついていれば一方のみの痛みであろうが、アイコだから双方痛みを意識することになる。職場での人間関係か夫婦関係において双方が傷つきあって、顔を合わせるたびあるいは思い出すたび、その無益を後悔していると解釈してみた。相手に対する慮りも含まれている。

ことほど左様に、いったん作者の手を離れると句は作者の想像もしないような幅のある解釈をされるということを作者は意識して作句する必要があるだろう。もちろん句の多面化・重層化の試みにおいて結果的に解釈の複数性を生んだとしたら致し方ない。この点については改めて書いてみたい。
Commented by marin at 2012-01-21 02:31 x
う~ん、思考回路、20分前に停止しました。修君、おやすみなさい。素敵な夢を……Zzz……
Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-21 08:05 x
「川柳は言葉のつばさ」

          サトウ ハチロー
五・七・五でよむ
悲しみをよむ
さびしさをよむ
母の声をよむ
待ちどうしいおやつをよむ
はらぺこをよむ
ふくれるしもやけをよむ
風にひりつくあかぎれをよむ
ありのままをよむ
五・七・五でよむ

人の心の中には糸がある
何かにふれると
美しく鳴りひびく糸がある
五・七・五とならべたことばが
この糸にふれると
待ってましたと鳴りひびく
鳴りひびく
わたしたち日本人の心の糸は
五・七・五にすこぶる敏感
ただちに大きくうなずき
たちまち高く鳴りひびき
それが拍手となってあらわれる
五・七・五
五・七・五
川柳は俳句とともに
世界で一番短い詩の形
わたしたちだけが
すぐにとびこめる詩の形
わたしたちは
これを大切に持ち続けよう

五・七・五でよむ
やりきれなさをよむ
けんかしたあとの
あじけなさをよむ
遠いお使いをよむ
春を待つ芽をよむ
蜂のこのうまさをよむ
ものすごい足のしびれをよむ
つづけてとびだす
しゃっくりをよむ
思いのままよむ
五・七・五でよむ

Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-21 08:11 x
編集中の「つばさ」44号の自由席に乗せる予定です。
43号「会員紹介」にて、先生が気に入っていますと書いておられたので、新しい方たちに教えてあげたり、古い方たちにも改めて見直してもらうために。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-21 08:26
陽子ちゃん、載せてもらえるんですね。川上三太郎が紫綬褒章を受章した際に親友のサトウハチローが作った詩ですよね。「川柳はことばのつばさ」いいですね~。ありがとうございます。
Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-21 08:36 x
何をするにも、「楽しいのが一番!」だと思っています。
前にも書きましたが、私は句歴が長いだけで、知識も経験もありません。でも、川柳が好きです。誰にでもすぐに作ることができるし、理解することもできる。
「知ってるかアハハと手品やめにする  椙元紋太」
知り合いの、80歳近いインチキ手品師を思い出して、いつ見ても笑ってしまう句です。

楽しいだけでなく、川柳には人の心を元気にする力もあります。
悲しみのどん底にいた人が、想いを川柳にして発表することで、だんだん立ち直っていかれた話も聞きます。

先生の言いたいことと、ずれているかもしれないけれど、「わからないけどなんとなくいい」ということは、いけないのでしょうか?
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-21 12:20
「わかんないけどなんとなくいい」という直観力をひていするつもりはありません。意味は抜きにして、一読した音感、ことばの響き合いなどで、直感が働いていい句だなと認識することはよくあることです。でもそのあとにどういうことなのかな~という探究心が頭をもたげてくるというのもよくありませんか?
Commented by 校長 at 2012-01-21 14:36 x
私が大会などで選をするときは、非常に多くの作品と短い時間で作業しなければなりません逢。まず荒抜きで感覚的に良い悪いを決めていきます。それから、句を掘り下げ内容を味わい、格付けしていきます。直観力を養うには経験も必要ですが、その人の感覚が非常に関係していると思います。
 合い打ちの傷の痛みの作品の評は、的はずれなこと言ってますね。「時々」の解釈がわかっていませんね。Samちゃんの言うとおりです。心象風景が選者に見えていないとすれば
選者失格ですね。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-21 15:08
うわぁ~校長先生に共感していただきうれしいです…。ありがとうございます。(^^)/
「鉛筆の芯から歩く花野まで」は先生ならどう解釈されますか?
Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-21 15:29 x
先生、よかったですね。 私も相打ちの句は心象風景だと思いました。(後から言うと、ずるく聞こえる?)
鉛筆の句・・・訊かれてないけど先に言います。
「歩く」を「歩く花野」と取りました。何かを書くような・・・鉛筆の芯のような小さなことから(文字を書ける)、花野を歩くような壮大な(!?)ことまで(自然を歩き回れる)、できる自分は幸せだなぁ~~~って感じに取りました。

さっきの、「探究心」はそうだと思います。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-21 18:27
陽子ちゃんの句の解釈もいいですね。
Commented by 校長 at 2012-01-22 01:17 x
こまったこまったこまどり…
 ①「鉛筆の芯」と②「花野」をどう捉えるかですね。
①は、鉛筆を舐めるとははの文字になる(好太)という
有名な句がありますが、芯ですから、書くことでしょう。
②は、季語でいえば「秋」。
 ときめきの一人芝居で行く花野(たけき)という句がありますが、花野は桃源郷というか終点だと思います。
 どう批判されようが、鉛筆の芯を折る(持論を変えない)ことなく、貫きとおす覚悟みたいなことではないでしょうか。悔いなく書けば地獄でも花野のように満足できるのではないでしょうか。
 もう少し考えてみます。少し酒が入っているので、支離滅裂かもしれません。どうでしょう?
Commented by marin at 2012-01-22 04:39 x
句会のトップ会談を聞いてるようです。
陽子たん、サトウ ハチローの詩、PCに「減らしなさい」って言われずに書けたね。ぎりぎりセーフだったかもね。

「花野」は春じゃなくて、秋なんだ。
「桃源郷」は終点の意味を持つ・・・・・なるほど・・・・
「川柳は言葉のつばさ」・・・・・その通りですね。

そうだ、私、ちんたんに質問があったんだ。
Commented by marin at 2012-01-22 05:05 x
ち~~~~~~んたん、起きてる?寝てるよね(笑)
あのね、宮日新聞に「親近感が湧く、からいも弁」という題で、

「南日本新聞の投書欄に、かごしま弁とからいも弁の違いについて読者の声が出ていた。本来のかごしま弁は尊敬語で品位があり、京言葉に通じていること。特に女性の語りは聞いていてうっとりさせられる。ただ、多くの人が地のからいも弁を使っているので、正しく継承する上で違いを明確にしたいとの指摘だ。全く同感である。戦時中青少年義勇軍で県内各地から宮崎に集まり、旧満州に渡ったが、都城・北諸・西諸出身者はからかわれた。
薩摩訛りのからいも弁が県央や県北出身者に奇異に映ったのだろう。かつては、都城地方では、店や隣家を訪れるとき「みやげんそう(ごめんください)」「おじゃったもんせ(おいでなさいませ)」など上品な言葉を使っていた。時代が進みこうした古き言葉も影を薄めてきたが、それでもまだ田舎に行くと、薩摩訛りのからいも弁が聞かれ親近感が湧き心が和まされる。私も努めてからいも弁で会話している」 といった投稿内容です。

Commented by marin at 2012-01-22 05:06 x
ほら出た、PCが字数を減らせだって。

ちんたんや、陽子たんが話しているカゴっマ弁は、からいも弁なの? 上品な尊敬語には聞こえないような・・・・(笑)
からいも弁って知ってた?
Commented by ちんねん at 2012-01-22 09:06 x
ごめんなさい。かごしま弁と、からいも弁、考えたことがありませんがよ。こまんかころ、まわりがしゃべっちょたとおり、かたちょいばっかいですがよ。でも豆腐のことを「おかべ」ち、言いますが、それが、京言葉じっゃち、聞いたこっがあっぐらいかな。スピードラーニングで英語を覚えるようなもんですかね。私の好きな言葉に、「じゃったっごっ、じゃったっごっ」「じゃったごっしかならん」 自然のありのまま、なるようにしかならない。そのまま。
Commented by marin at 2012-01-22 10:47 x
ち~~~~~んたん、ありがとう。 陽子たんも手を挙げないところをみると、からいも弁って特別な言葉かな?と思い検索をしてみました。

http://www.geocities.jp/yamasun37/newpage4.htm

これって、宮崎の西諸あたりで使われている言葉ではないかしらと・・・・
上記の、「あ~ん」までの言葉の中には、宮崎弁も沢山入っています。きっとカゴッマ弁も入ってますよね?
からいも弁って鹿児島弁と宮崎弁のMIXかもしれませんね。
まりんはお気に入りに入れました。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-22 10:58
校長先生、解説コメントありがとうございます。他の方の句を引用して、鉛筆の芯、花野の含意を読み解いていかれるあたりはさすがと思いました。要するに校長先生の読み解きは、「どう批判されようが、鉛筆の芯を折る(持論を変えない)ことなく、貫きとおす覚悟」ですね。感謝。m(^^)m
Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-22 11:03 x
んだもしたん。
朝も早よから、まりんちゃんな、なよ、おらっかたじゃいやんどかい?
からいも弁ち、聞っきゃげたこっも、ございもはん。
上品なカゴッマ弁な「麓(ふもと)言葉」ちゆうて、旧家?のよかし(衆)が、使こやっとござんど。
ここ入来には、そらそら上品な言葉が有っとござんどん、なかなか、そん言葉を語いがないやっし(衆)が、おいやらんもんござんで、だんだんすたれていくばっかいじゃんさ。
あたや、そん言葉が無かごっならんごと、活動をしかたじゃしと。
「しろねこしろちゃん」ちゆう絵本を、この「麓言葉」に訳して、指人形を作って、演じております。子どんのしゃ、きょとん!ち、しいちょいもんどん、おせんしゃ、「んだも~、なつかしかことばじゃ~~~」ち、うっとりして、聞いてくいやんど。
主人のことは「おまんさぁ」ち呼んで、「もどっきゃっ」とか、ちゃんと敬語を使こて、語いもしと。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-22 11:11
まりんちゃん、以前南日本新聞に出た記事を覚えていますが…。鹿児島(薩摩)弁は正統の方言ー歴史的には江戸末期から将軍家に輿入れしたり、明治維新の貢献により中央とのミックス的な上流階級の薩摩弁です。からいも弁は、薩摩弁にコンプレックスをもった鹿児島県人が標準語を混ぜて語るけどアクセントなどの点でいまだ方言の域を抜け出ていない地域方言。といったようなことが書かれていたような気がします。
Commented by marin at 2012-01-22 11:27 x
うぅう・・・・・・恐るべし陽子たん。
お気に入りじゃダメだわ。プリントアウトしなくちゃ
書いてあることはな~となくわかるけど、笑えるところなのか、共感するところなのかが分からない(苦笑)

修ちゃん、やっぱり鹿児島弁は上流階級言葉なんですね。
嫁ぎ先の両親は、田舎で生まれ田舎で育った人たちで、自分たちが話す言葉が標準語だと思ってるところもありました。(笑)
東北の田舎へ行ったらきっと「異国」ですよね。(笑)

どれどれ、プリントアウトしなくちゃ
Commented by 太陽の陽子さん at 2012-01-22 11:41 x
先生の言う「からいも弁」ち、「からいも普通語」じゃないよね?
からいもふつうごは、言葉は共通語でイントネーションがカゴッマ弁。
私たちが子どものころは、もっぱらこの「からいも普通語」が、日常語でした。
今の子どもたちの半数は、イントネーションも「えせ共通語」だもんね。
もちろんうちげえん子は、「からいも普通語」を語るよ。
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-22 17:50
からいも弁とからいも普通語と違いますね…。からいもというくらいだから、薩摩や鹿児島県人以外の人間が揶揄して作った言葉ですよね~。とすると同じような響きがありませんか?
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-22 17:53
まりんちゃんね、鹿児島弁は正確には薩摩弁は井上ひさしによれば、明治維新後に標準語にしようという動きがあったくらい当時飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。その後の衰退で逆にコンプレックスになってしまいましたね…。
Commented by marin at 2012-01-22 18:36 x
鹿児島弁がコンプレックスって言ってたのは一部の人たちですよね。言葉には文化があるから無理に変えようとしても無理ですよね。違うからいいんですよね。ギャップも楽しめるし……ね、陽子たん(笑)
Commented by りんご詩姫 at 2012-01-22 19:19 x
昔、全部の都道府県から小学生を集めて、ひとつ屋根の下で合宿させる実験が行われたことがあります。
一ヶ月後、どうなっていたと思います?
なんと、子どもたち全員が、すっかり大阪弁に変わっていたそうなんです。
恐るべし、大阪弁。
ほんま、かなんなあ~。
(^-^;)
Commented by marin at 2012-01-22 19:44 x
りんごちゃん、きっと大阪代表の子どもは元気がよくて、リーダー的存在だったんだろうね。 習うより慣れろの典型だね。
え~語を話す修君や国立の☆君は何がきっかけでえ~語を習得したの?
Commented by attainmentofall8 at 2012-01-23 01:28
鹿児島県人は多かれ少なかれみんな言葉のコンプレックスをもっていると思います。大阪弁、京都弁は違うと思いますが…。一か月もインテンシブにやったら…そりゃ~大阪弁になりますよりんごちゃん。(笑)英語でも同じかも。口達者な女の子なら2週間ホームステイしたら英語ペラペラになる子もいると聞きます。
まりんちゃんね…僕の場合はやはり言葉に対するコンプレックスから英語に入ったんだと思います。外国語に対するあこがれも。もちろんいい先生に出会えたことも。
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by attainmentofall8 | 2012-01-20 23:59 | 俳句/短歌/川柳 | Comments(27)