新しい着眼
2011年 01月 18日
小倉百人一首に中にある有名な歌
「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」持統天皇
永井路子氏の著書によれば、新しく完成した藤原京から目の前にうずくまる天の香具山をみて歌った女帝の勝利の歌なのだそうだ。
そのような理解から読めば、単に「春が過ぎて夏が来てしまっているらしい。夏になると真っ白な衣を干すという天の香具山なのだから」という字面の意味にとらわれない拡大解釈ができる。
天智天皇の皇女でありながら13歳で叔父の大海人皇子(のちの天武帝)に嫁いだウノノサララノヒメミコが後の持統天皇である。天智天皇の亡きあと、天智の長子大友皇子と大海人皇子との戦い、つまり壬申の乱をへて大海人皇子―天武帝が即位する。その妃におさまる。天武天皇の後、草壁皇子が早世したため自らが皇位につくことを決意する。
即位後は、天武帝の遺志として藤原京の建設を命じたり、伊勢旅行を行って勢力範囲を磐石なものにする。そして藤原(今の橿原市内(かしわら)に中国風の碁盤目状の町と宮殿が完成すると、来し方を見やりながら万感の思いを込めて持統天皇は上記の歌を詠むのである。
もう一つ永井氏の本で知ったのは、清少納言の歌も小倉百人一首の中では有名であるが、彼女の父親清原元輔の歌も出ているということである。
夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは 清原元輔
秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
天智天皇―持統天皇、清原元輔―清少納言という父と娘の歌ということがわかれば、また違う味わいになってくる。
「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」持統天皇
永井路子氏の著書によれば、新しく完成した藤原京から目の前にうずくまる天の香具山をみて歌った女帝の勝利の歌なのだそうだ。
そのような理解から読めば、単に「春が過ぎて夏が来てしまっているらしい。夏になると真っ白な衣を干すという天の香具山なのだから」という字面の意味にとらわれない拡大解釈ができる。
天智天皇の皇女でありながら13歳で叔父の大海人皇子(のちの天武帝)に嫁いだウノノサララノヒメミコが後の持統天皇である。天智天皇の亡きあと、天智の長子大友皇子と大海人皇子との戦い、つまり壬申の乱をへて大海人皇子―天武帝が即位する。その妃におさまる。天武天皇の後、草壁皇子が早世したため自らが皇位につくことを決意する。
即位後は、天武帝の遺志として藤原京の建設を命じたり、伊勢旅行を行って勢力範囲を磐石なものにする。そして藤原(今の橿原市内(かしわら)に中国風の碁盤目状の町と宮殿が完成すると、来し方を見やりながら万感の思いを込めて持統天皇は上記の歌を詠むのである。
もう一つ永井氏の本で知ったのは、清少納言の歌も小倉百人一首の中では有名であるが、彼女の父親清原元輔の歌も出ているということである。
夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは 清原元輔
秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
天智天皇―持統天皇、清原元輔―清少納言という父と娘の歌ということがわかれば、また違う味わいになってくる。
by attainmentofall8
| 2011-01-18 23:48
| 俳句/短歌/川柳
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