大学の実力
2010年 04月 28日
昨日の新聞報道によれば、大学の情報公開が来春から義務化されるらしい。義務化された情報と大学側の努力義務に委ねられた情報がある。さらにはその二つの範疇に入らないが国際的な観点から公表が望ましい情報がある。
義務化の情報として、
・教員数、教員の保有学位や職務上の実績
・入学者数、在籍者数、卒業者数、卒業後の進路
・一年間の授業計画の概要(シラバス)
・授業料減免の概要
・学生のサークル・団体などの活動状況
・学内の学生支援組織、奨学金の概要
努力義務情報として
・教育課程を通じて習得が期待される知識や能力の体系
最後が国際的に公表したほうが望ましい情報であるが、大学側が渋っている情報として、
・教員あたりの学生数
・各授業の平均学生在籍数
・中退率
・授業科目の体系化
・成績評価基準の大学としての統一方針
大学教員の一人としては、すべて公開してもいいような情報であるが大学が淘汰されるという危惧感をもつ大学があるのだろうか?全国で4年制大学が778校もある時代である。しかも少子化で全入時代突入である。一番肝心な入学してくる学生の質をどのように確保するかという視点がまったくないのが不思議だ。
読売新聞のコラム欄で以前出ていた記事だが、新潟産業大学では大学生に公文式の算数を教えているそうだ。一瞬目を疑ったのだが、算数とするのは大学生のプライドを傷つけるから生活数学としてプリントを何百枚何千枚とやらせて単位も与えているそうだ。公文式の先生になる養成講座ではなく学生自身が算数の一桁の足し算からやる講座だそうだ。これは大学の先生が教えるよりも公文の先生を非常勤で雇ったほうが大学側も経費削減できるのではと揶揄したくなる。まともに大学教育が成り立つのかなとまじめに悩んでしまいそうだ。
要するに、日本の大学のほとんどが定員割れを起こしている状況で喉から手が出るほど学生をほしがっていろいろな入試選抜方式を取り入れて入学させてみたらパンドラの箱になってしまったというところだろうか?!
ゆくゆくは淘汰された大学は、アメリカのコミュニティーカレッジのような地域密着、実技実益重視の授業を組む市民大学のように一般社会人を含めた人々の受け皿になってしまうような気がする。それはそれで重要だと思う一方で従来の大学は大学院にシフトせざるを得ないのではなかろうか。現在の大学はまあせいぜい一般教養を4年かけてやるような位置づけになりつつあるように思う。さらにはいかに学生を育てて伸ばせるかという点が大学の評価されるポイントになるだろう。伸ばし度ランキングでもつくればいい。入学時点の偏差値ランキングよりはるかにいいと思う。
このような環境に大学はあるということを理解したら、学生がやるべきことは得意なこと、好きなことをとことん突き進めていくしかないような気がする。専門であればそれが大学院につながるし、英語の資格試験であれば就職のとき評価してもらえる。
義務化の情報として、
・教員数、教員の保有学位や職務上の実績
・入学者数、在籍者数、卒業者数、卒業後の進路
・一年間の授業計画の概要(シラバス)
・授業料減免の概要
・学生のサークル・団体などの活動状況
・学内の学生支援組織、奨学金の概要
努力義務情報として
・教育課程を通じて習得が期待される知識や能力の体系
最後が国際的に公表したほうが望ましい情報であるが、大学側が渋っている情報として、
・教員あたりの学生数
・各授業の平均学生在籍数
・中退率
・授業科目の体系化
・成績評価基準の大学としての統一方針
大学教員の一人としては、すべて公開してもいいような情報であるが大学が淘汰されるという危惧感をもつ大学があるのだろうか?全国で4年制大学が778校もある時代である。しかも少子化で全入時代突入である。一番肝心な入学してくる学生の質をどのように確保するかという視点がまったくないのが不思議だ。
読売新聞のコラム欄で以前出ていた記事だが、新潟産業大学では大学生に公文式の算数を教えているそうだ。一瞬目を疑ったのだが、算数とするのは大学生のプライドを傷つけるから生活数学としてプリントを何百枚何千枚とやらせて単位も与えているそうだ。公文式の先生になる養成講座ではなく学生自身が算数の一桁の足し算からやる講座だそうだ。これは大学の先生が教えるよりも公文の先生を非常勤で雇ったほうが大学側も経費削減できるのではと揶揄したくなる。まともに大学教育が成り立つのかなとまじめに悩んでしまいそうだ。
要するに、日本の大学のほとんどが定員割れを起こしている状況で喉から手が出るほど学生をほしがっていろいろな入試選抜方式を取り入れて入学させてみたらパンドラの箱になってしまったというところだろうか?!
ゆくゆくは淘汰された大学は、アメリカのコミュニティーカレッジのような地域密着、実技実益重視の授業を組む市民大学のように一般社会人を含めた人々の受け皿になってしまうような気がする。それはそれで重要だと思う一方で従来の大学は大学院にシフトせざるを得ないのではなかろうか。現在の大学はまあせいぜい一般教養を4年かけてやるような位置づけになりつつあるように思う。さらにはいかに学生を育てて伸ばせるかという点が大学の評価されるポイントになるだろう。伸ばし度ランキングでもつくればいい。入学時点の偏差値ランキングよりはるかにいいと思う。
このような環境に大学はあるということを理解したら、学生がやるべきことは得意なこと、好きなことをとことん突き進めていくしかないような気がする。専門であればそれが大学院につながるし、英語の資格試験であれば就職のとき評価してもらえる。
by attainmentofall8
| 2010-04-28 23:11
| 雑感
|
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