西郷隆盛伝説
2010年 04月 14日
「西郷隆盛伝説」を書いた佐高信氏によれば、山形県の酒田に西郷隆盛を祀る南洲神社があるそうだ。鹿児島では西郷さんはほぼ神格化されていて尊崇の対象になっている。南洲墓地に併設する形で南洲神社がある。ちなみに西郷さんの師匠格の島津斉彬は照国神社に祀られている。
幕末期に幕府方の会津藩と庄内藩は官軍に対して抗戦した。特に会津は徹底抗戦したため長州にこてんぱんにやられ、後々怨みを残すことになった。萩市と会津若松市はつい最近まで付き合いはご法度だったらしい。一方、薩摩藩が担当した庄内藩は西郷と菅実秀とで無血開城になり処分も寛大なものだったため庄内藩の人たちは恩義を感じ西郷ファンになってしまった。鹿児島でもよく読まれている「西郷南洲翁遺訓」という本は実は庄内藩士が書きとめて本にしたものである。庄内藩の中でも鶴岡の人にとっては一家に一冊の大事な本だそうだ。酒田の長谷川信夫という人物が鶴岡のそうした家にたまたま下宿して感動し、1976年に突如私財を投げ打って酒田の地に南洲神社を造ってしまったというのが実状らしい。
酒田は、江戸時代には西の堺、東の酒田といわれたくらい栄えた港町である。それに対して鶴岡は東の京都といわれた城下町で格式が高いところだ。鶴岡にとってはわが町の英雄の神社を勝手に酒田に造られて感情的にはかなり複雑で、そういうわけか酒田、鶴岡は仲が悪いそうだ。
西郷隆盛の魅力はなんと言っても途方もないスケールの大きさ度量の大きさではなかろうか。権力を持つと人間は変わってしまうのが普通だが、そういうものを全く感じさせないで国のため時代を背負ってたおれたまさしく英雄である。
by attainmentofall8
| 2010-04-14 23:24
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