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日々の雑感


by さむちゃん
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日本外交


新聞報道によれば、日本駐留のアメリカ兵に対する裁判権を放棄するという秘密合意文書が存在することがわかった。駐留米軍兵士の犯罪に関して、日本にとって著しく重要と考える事件以外では裁判権を行使するつもりはないというものである。この文書は1958年10月4日に当時の岸信介首相、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使らが日米安全保障条約の改定交渉をした際の会談録だそうだ。現行の日米地位協定の前の日米行政協定でのことらしいが、当然1960年の日米安保条約の改定時にも引き継がれ今でも有効であるという話である。
どうりで沖縄でアメリカ人兵士による犯罪が表ざたになってもいつの間にか沙汰闇になっていた事情が理解できたような気がする。少女暴行事件で大々的なキャンペーンが行われたこともあったがそれ以外にもおそらく数限りなくあるに違いない。
1945年に日本が無条件降伏をした歴史的な事実を考えれば日米の交渉に格差があるのは当然だろうが、裏で裁判権の放棄までしていたとは驚きだ。しかも戦後65年にもなろうとしている時代にそれが有効であるとは二度驚きだ。
幕末期の日米修好通商条約で、犯罪人処罰はそれぞれ本国の法律で行うことを規定した治外法権を押し付けられた極めて片務的な条約以降、日本外交はあまり変わっていなかったことになる。ただし、日本は治外法権、関税自主権の撤廃を求めてたいへんな苦労をした経験がある。欧米列強と伍すために富国強兵、殖産興業を国策にして追いつけ追い越せで明治を駆け抜けてきた歴史がある。第二次世界大戦後の為政者もまさか戦後の復興を明治のそれと重ねたのではなかろうかと疑ってしまうような不平等条項である。結果的には奇跡的な復興を成し遂げたのだから、アメリカからの支援、軍事同盟がうまく機能したのだと信じたい。
戦後60年以上経って、世界情勢、経済状況も一変したなかで変えていくべきは粛々とアメリカにものを言い変えるべき転換点だと考える。その意味ではタイムリーに民主党政権になったのだから今を逃したらチャンスすらめぐってこないと心得て外交交渉を行うべきだろう。
もちろんそのような片務的な条約を結んでいたのだから、何がしかの見返りがあったはずだ。為政者の個人的なものも含め自民党の長期政権の後見役を果たしたのは間違いない。とすればアメリカ側も今回明らかになった片務性を解消するのであれば、日本に肩代わりさせるものを必ず外交交渉に提示してきているだろう。今回、民主党政権が普天間の移設問題を含めてうまく妥結するようなことになれば、裏交渉で何十年後かに今回のような秘密文書が出てくるような合意をしないか心配だ。日本人の矜持にかけて交渉してほしい。
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by attainmentofall8 | 2010-04-11 21:18 | 政治/経済 | Comments(0)