日々の雑感


by さむちゃん
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お色干し法要

お色干し法要というのが鹿児島にはある。薩摩藩では江戸時代浄土真宗は禁制になっていたが、人々は隠れ念仏者となって人里離れたガマの中で信仰を守り続けた歴史がある。梅雨の時期になると湿気で仏具がいたむので虫干しをする必要がある。見つからないように命がけの虫干しである。仏具を大切にするということだけでなく、そのような先人の苦労を偲ぶという意味合いもあるのかもしれない。


法話の中で、「眼聴耳視(げんちょうじし)」という言葉が出てきた。

文字通り、眼で聴き、耳で視るという意味である。ふつうは、眼で視て耳で聴くとなるはずであるがそうではない。


萎れた生け花をみて「水が欲しい」という内なる声を聴くことであり、聞法(もんぼう)にであいそれが私の支えになっていく姿を視ることである、という意味だそうだ。


「聞きひらく」という言葉の解説もあったが、これこそが聞法者の仏法を聞く聞き方でなくてはならないのだそうだ。「ほとけのみなを聞きひらき、こよなき信をめぐまれて、よろこぶこころ身にうれば、さとりかならずさだまらん」


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# by attainmentofall8 | 2016-07-01 16:45 | 今日の一日

歌集をもらう




短歌結社「華」の同人藤村アサエさんが最近歌集「後頭の岳」を上梓された。出版祝賀会と読む会の案内と一緒に一冊届いた。



まず「後頭の岳」というタイトルに新奇さを感じた。「ごとうのやま」とルビが振られている。


朝あけてみどりさやかな夫の里後頭の岳に曇なびくなり



種子島生まれの藤村さんは、学校を卒業されると西之表で仕事をされていたが屋久島の方と結婚される。ご主人の屋久島の里の山が「後頭の岳」で、上掲の歌は遠くから眺めて懐かしんでいる心情が読み取れる。



山低く細長き島ザワザワと黍の葉そよぐわが種子島


昨日のこと忘れしままに何ごともなかつたやうに老いに入りゆく


嫁ぐ日に将来を語りし記憶なし後頭の岳は雪をかづけり


屋久島に嫁ぎて十年大家族なり吾が住みし部屋今に残れり


信号が青に変はれば歩き出す古希とふ齢抱きしめにつつ


華やぎの薄れそめたる二人居の部屋に真白きカサブランカ活く


代掻きを終へし棚田に水張りぬ風のかたちにさざ波はしる


水張田は空を映してま青なり風吹くままに山もゆれゐる


寄り添ひて四十年をつつがなしうす紫のあぢさゐ咲けり



嫁いで十年屋久島に住み大家族の中で専業主婦として生活し、その後鹿児島に転居される。二人の娘を育てあげ、現在三人のお孫さんがいるという。


「私が彼岸へ渡った時、ばあちゃんは歌を作っていたのかとこの歌集を手にとって読んでくれる孫が一人いたら幸せです。まことにささやかな自分史を恥じながら歌集といたします」とあとがきに書いてある。



川涯利雄先生が、あとがきのあとに「解説」を書いておられる。


種子島は平安時代から続く種子島家という名家が治めていたところである。一万石の大名だが、島津本宗家からも一目置かれ婚姻関係を重ねて家老職を務めてきた名家である。種子島家は代々歌会を大切にしてきておりそれが武家だけでなく商家や農家にも波及して島全体の風土になっている。島津が種子島家を大事にしたのは、こうした文化を持つ種子島家の品格だっただろう。藤村さんも、この深い文化の靄を内包しておられる。…



そして、種子島の短歌文化のエピソードが紹介してある。


川涯先生が若いころ種子島高校で教えておられたときのことである。ある女生徒(九人兄弟の末っ子)が家庭の貧窮から高校を辞めたいと言ってきたときに家庭訪問をされる。年老いた腰の曲がった父親に救済制度があることを説明されると喜んで、帰り際に洗いたての大根を持たせてくれる。後日先生がお礼代わりに短歌を一首その女生徒に持たせると、翌日その父親から返歌が来たそうだ。


大根の双葉の青く萌ゆるころ酒呑みに来むと言へば待たるる


この古老の歌が、種子島の土に沁み込んだ文化というものである。


まあ、ざっとこのような内容である。



種子島家の29代目時邦氏の実姉にあたる村川元子さんが「松寿院」という本を書いているがその中でもやはり種子島家の歌文化が脈々と流れているのがうかがえる。





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# by attainmentofall8 | 2016-06-30 21:12 | 俳句/短歌/川柳

火の島

火の島6月号は100号記念特集である。2008年3月が創刊号。代表の丸山眞先生は、薩摩川内市の中央公民館で月一回行われているもくせい句会の先生でもある。


巻頭言の中で、丸山眞氏は、「投句者たちの作風や作句歴は、各人各様、多士済々、個性豊かであるが、『俳句は詩である』という意識を共有し、有機定型文語による表現を基調としているといえよう。」さらに、「…人と人が直接一座に会し、交流し、互いの作品世界を語り合う楽しさ、鍛え合う喜びを味わうという点では、誌友をもち、句会に出るという意味は計り知れないものがあるようだ」と書かれている。


平成15年に、「鴫」の伊藤白潮先生に俳句に教えていただくようになった時も、句会の大切さを言われた覚えがある。句会が終わってから一杯飲みながらの俳句談議がどんなに役立ったかしれない。俳句にはまってしまい、川内にUターンする原因にすらなってしまった。

師もお亡くなりになり、川柳に片足を踏み入れたころ、もくせい句会の丸山先生に出会ったのである。伊藤先生が引き合わせてくださったような出会いである。100号記念号を、「読んでみてください」と、そっと手渡されたときは運命すら感じた。


というのも、いつも句会直前に作った句を出すだけのマンネリに陥っているのを何とかしなくてはと忸怩たる気持ちを持っていたのである。今回「火の島」の仲間に加えていただくことにした。もっと真剣に作句に取り組んでみたいという思いからである。


100号記念号には、126名の方が「百号私の一句」に、コメント付きで投句されている。他に秀岳集自選10句、火の島集自選5句、噴煙集(丸山眞選)、小みかん集のかがやき(山下義照選)などなど、104ページの充実した一冊になっている。


檳榔の風立つ岬や亀生るる  板坂良子

昨年の鹿児島国民文化祭「佐多岬」の入選句との作者のコメント。


檳榔といえば、啄木の

檳榔の古木を想へその葉かげ海見て石に似る男をも 「海の声」を思い出す。


宮崎の青島へ渡る弥生橋のたもとに石碑がある有名な歌である。

檳榔は海風に吹かれる強い葉のイメージと、潮騒や潮の香りから、再生・門出・出発を喚起させられる。


鴫の流れでもある、「鶴」の石田波郷に、「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」という句がある。


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# by attainmentofall8 | 2016-06-28 22:28 | 俳句/短歌/川柳

FM出演

FMさつませんだい87.1MHzの川柳番組「心の川柳~ここせん」に出演した。レギュラー出演者が旅行で出られなくなったためのピンチヒッターである。


朝9時半に川内駅ビルのスタジオに入り、20分ほどの打ち合わせ後に10時から1時間の出演となった。

局長が進行役、それと川柳仲間のあけみさんと夢修という三人での番組だったので気楽といえば気楽である。FM放送局専用のキューシート(Cue Sheet)に沿って進めていくのであまり余計なことが言える時間的余裕はない。合間にリクエスト曲が入りそのときだけは雑談ができるという雰囲気である。


局に入ってすぐに局長からリクエスト曲を求められたが、
If we hold on togetherはなくて、ではクラッシックでと思ってKathleen Battleを探してもらったがこれもなく…(局には2~3万枚のCDがあるそうだが)、教科書にもでてくる「コンドルは飛んでいく」がやっとみつかった。もう一曲ということで「ゴンドラの唄」を小林旭バージョンで見つけてもらった。


つばさ
7月号より「紅雀さん好みの10句」の紹介からスタートした。

次が川柳道場コーナー、事前に出されたお題に対して投句された中から優秀句を発表するものである。


「半分」というお題に

◎ひよこコース

 特選 確率は二分の一だ当ててみろ ぱんだ

◎白帯コース

 特選 真っ二つ割って出てきた桃太郎 ぱんだ

◎黒帯コース

 特選 半眼の教えを胸の隅に置く 十六夜

 準特 半分は許してくれている顏だ 文切


折句コーナーに移ると、

「ぴ・あ・の」 

人 ピンチです甘い誘惑伸びてくる  ちかよし

地 ピアニスト甘い調べのノクターン ちかよし

天 ピンチでもあなたがいれば乗り切れる ぱんだ

軸 ピンチですあなたの舟に乗ってから よったま


「た・お・の」

人 たすけて…の声御巣鷹が飲み込んだ 清展

地 太陽に重い心を覗かれる たかこ

天 短冊におしゃれな一句載せてある ちかよし

軸 旅に出る男電車を乗り換える よったま


最後が、川柳相撲コーナー

「約束」「濁る」「つるつる」の3題をBGMが流れている時間内でつくり、それぞれ局長、あけみ、夢修が選者になり優劣を競うという趣向である。


夢修選「つるつる」

つるつると掴みどころのない人だ あけみ

窓を滑る雫は誰の涙だろ 局長

局長に軍配をあげた! さすがめきめき腕を上げている局長だ。

軸 つるつるのお肌にフンを塗りつける 夢修


「約束」朝刊じゃなく妻をみて朝ごはん 夢修

「濁る」わさび田にうまれ黄河に流される 夢修

を出したが、全敗だった。

貴重な経験ができた一日であった。


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# by attainmentofall8 | 2016-06-25 21:36 | 今日の一日

歴史資料館の公開講座に参加して


「モノ」から視る薩摩の対外交流史

  講師は、坊津輝津館の橋口亘氏


薩摩塔という石塔の話で90分の講演が終わった感じがする。1958年に齋藤彦松氏によって発見された石塔だが、当初は坊津特殊塔と呼ばれていたそうで形状や石質から中国福建省のお寺にある石塔に酷似していることが確認された。南さつま市の加世田や金峰町、南九州市の川辺町にも広く分布しており現在までに県内だけで13体発掘されているという。さらには、長崎、佐賀、福岡といった九州西岸部の県からも発見されている。


浙江省の梅園石に岩石の成分が似ているそうだ。塔の下のほうから須弥壇部、塔身部、屋根部、相輪部という基本構成になっている。薩摩塔の特徴は、須弥壇部に高欄がついており塔身部には壷状のくぼみがあり本尊が安置されている。上からは四角形や六角形見える。高さは60㎝ほど。


どういう目的でこのような塔が作られたのかはいまだに謎だそうだ。中国から長崎を経由して鹿児島に持ち込まれたという説を橋口氏はとっているとのこと。


素人考えでは、種子島に伝わった鉄砲でさえ一年もせずに日本人は自力で火縄銃を作れるようになったことを考えると、薩摩塔も重いものであるだけに一基現地から調達したらあとは加工のしやすい凝灰岩系の石を使って自分たちで作っていたのではないかと推察する。訊いてはみなかったが、日本に浙江省の梅園石に似た岩石はでないのか調べてみる必要がありそうだ。


最後のほうで、唐人墓や青磁の話があったが、坊津あたりには中国人だけでなく貿易に携わっていた外国人が多く住んでいた居住区があったそうなので、唐人の墓があることも彼らが使ったであろう青磁が多数発掘されているのもうなづける。


薩摩の硫黄島は硫黄の大産地であるが、薩摩は硫黄の販売で鉄砲伝来以降ますます発展していったものと推測される。先週の講座でも講師の先生(西郷南洲顕彰館学芸員)が指摘されていたが、薩摩藩の資金力は、沖縄を介しての密貿易、サトウキビの専売制、そして硫黄の販売だそうだ。


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# by attainmentofall8 | 2016-06-25 20:37 | 歴史