日々の雑感


by さむちゃん
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雁ヶ腹摺山

現代短歌新聞の8月5日号、吉村睦人氏の添削コーナーコラムに大変興味深い話がある。

ある歌会で「尾根いくつ越えし向うに見えてゐる雁が腹摺り山を越え来ぬ」という歌に対して、下句を「雁が腹摺り尾根を越ゆるが」と直されたという。すると作者が、「雁が腹摺り」は山の名前です、と言ったそうだ。

ポイントは、「がんがはらすりやま」は山の名前だということである。雁が腹を摺るように山を越えて来たととってしまうのが、一般的だろう。このような固有名詞には「」括弧を付けるといいいとアドバイスしている。

ちなみにこの「雁ヶ腹摺山」は、山梨県大月市にあり、標高1874m。大菩薩嶺から続く小金沢連峰の支脈にある山のひとつだという。
誰がつけたか知れないがずいぶん情趣に富んだ山の名前である。雁が渡る遠景があたかも腹を尾根に摺りつけるように見えたのだろう。

括弧を付けなくてはならないようなものは、例えば花を例にとると・・・薔薇なら「伊豆の踊子」、紫陽花「墨田の花火」、チューリップ「紅獅子」、朝顔「団十郎」なんていうのもある。

川の名前である「坂東太郎」「筑紫二郎「四国三郎」も知っている人は知っているだろうが、知らないと、歌に詠まれた場合には全く歯が立たないことになる。
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# by attainmentofall8 | 2016-08-03 19:52 | 俳句/短歌/川柳

東郷文弥節人形浄瑠璃

東郷文弥節人形浄瑠璃の公演が昨日(7/31)東郷の公民館ホールであった。
わずか20分ほどの公演にもかかわらず観光バスで観に来ているグループもあり総勢で200人ほどは入っていたように思う。

演目は、源氏烏帽子折初段 卒塔婆引き(そとばびき)
人形遣いは黒子風の服装で、顔を見せる文楽とは違う。男人形はひとりで操り右手のみ可動。女人形は左右の手が可動なので二人で繰る。文楽以前の人形浄瑠璃なので、語り太夫や人形の動きが素朴で単調なのが特徴と案内パンフに書いてある。

卒塔婆引きのあらすじは、簡単に記すとこんな物語である。
藤九郎盛長と渋谷の金王丸は、平治の乱で平家方に敗れ敗走するも、主君源義朝の墓前で再会する。ところが、お互いに卒塔婆を取り合っての大げんかとなる。卒塔婆が折れるとふたりは改心したかのように主君のかたきを討つことを誓い合う。そこに、六波羅の役人に捕まった常盤御前と牛若丸が現れる。ふたりは役人を切り殺し母子二人を救い出し大和に落ちのびる手助けをする。そして源氏ゆかりの兵を集め再興を誓って関東へと下る。

今回の公演のチラシに、南无阿弥陀仏と書かれた卒塔婆があるがこれは間違いであろう。浄土真宗ではまず卒塔婆をあげないし、浄土宗でも卒塔婆に南无阿弥陀仏や南無阿弥陀仏と書くことは絶対にないそうだ。民間の保存会の方々がやっていらっしゃるとはいえ、国重要無形民俗文化財の指定を受けている上に市や教育委員会が後援として関わっているならやはり時代考証を含めてきちんとしたものを作るべきではないかと思うことであった。
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# by attainmentofall8 | 2016-08-01 18:57 | 映画/落語/芸能

羊と鋼の森

「羊と鋼の森」宮下奈都著
2016年本屋大賞受賞作品
タイトルだけではどんな作品かさっぱり想像もできないが、読み終えてなるほど納得するネーミングである。「舟を編む」三浦しをん著に似たところがある。「舟を編む」は、辞書編纂に精魂を傾け言葉の大海を漕いでいくような職人の世界を描いた作品だった。

「羊と鋼の森」は、調律師の話で、調律の蘊蓄が随所に出てくる。作中の外村はグランドピアノの蓋が開いたときに森の匂いを感じる。調律師の仕事の奥深さを象徴するメタファーとして森。そして羊は愚直に職を追求していく善と美の存在たる調律師のメタファー。善にも美にも「羊」が漢字のなかに含まれている。

ピアノは鍵盤を叩くと、ハンマーが連動して垂直に張られた弦を打ち、音が鳴る仕組みになっているそうだ。そのハンマーは羊毛を固めたフェルトでできている。つまり羊毛のフェルトのハンマーと鋼の弦がつまったピアノの内臓部を象徴したタイトルとも言える。

お客が調律師に言葉で調律の仕上がり具合を「チーズみたいな音に調律してください」と頼んだらどうするか、と外村とその先輩柳との会話がある。素人考えでは、ただ機械的に調律するだけかと思いきや、調律の奥深さを知る。

巻末の謝辞を読めば分かるが、調律師への徹底的な取材がなされた結果の作品だと納得する。
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# by attainmentofall8 | 2016-07-28 23:29 | 読書

切れ字「や」の続き

切れ字の「や」について。前回、

朝顔に釣瓶とられてもらい水 加賀千代女

の「に」は「や」で切れるのが原句だったのではないか、という記事を紹介した。

朝顔や釣瓶とられてもらい水

「に」は理屈が先行する。「や」は「朝顔や」で切れることで、朝顔の咲く朝に、誰かに釣瓶を盗られてもらい水をする、ととるべきではないかというのが久米氏の意見である。一方、釣瓶を盗まれるという無粋なことは俳句にはならないのではないかという意見もある。千代女さんに、もらい水してもらうことを希望する隣人にいたずらで隠されたかなにかではないか?なにせ朝の寝起きの顏でも美人の千代女さんである。

「や」で切った二句一章の句を見ながら、季語との微妙な付き具合をみてみたい。つまり季語が動かず一句の中で生かされているかどうかということである。

あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ  橋本多佳子
あぢさゐや軽くすませる昼の蕎麦  石川 桂郎
あぢさゐや仕舞のつかぬ昼の酒   乙二
あぢさゐやなぜか悲しきこの命   久保田万太郎
紫陽花や家居の腕に腕時計     波多野爽波
紫陽花や師の音声のラヂオより   石田 波郷
紫陽花や子を生み終へし高いびき  岩田 由美
紫陽花や身を持ち崩す庵の主    永井 荷風

紫陽花は、梅雨時の代表的な花であるが、万葉集の時代は「ガクアジサイ」のことだと考えられている。橘諸兄の歌に、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませわが背子見つつ偲はむ」からみても、大ぶりな色柄からおめでたい花と考えられていたようだ。

今では品種改良されてさまざまな種類があるが、ガクアジサイはホンアジサイに比べ控えめな感じがするのか花言葉は「謙虚」。

ホンアジサイの花言葉は多彩。
ポジティブイメージでは、「元気な女性」「辛抱強い愛情」「一家団欒、家族の結びつき」
ネガティブイメージでは、「移り気・浮気・変節」「冷淡」「高慢・無情」

波郷句は、切れを大事にした波郷らしい句である。師とは秋櫻子のことだろうか。ガクアジサイから師系図がイメージされるうえに、ラヂオを通して聴く師の声に敬意すら抱いている。

万太郎句の「なぜか悲しきこの命」。「気に食わぬ風もあろうに柳かな」という川柳を思い出す。濁世に身を置くしがない人間の宿業すら感じる。この句の場合、無常観があぢさゐという季語を抜きにしては出ないだろう。
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# by attainmentofall8 | 2016-07-26 23:48 | 俳句/短歌/川柳

朝顔や

俳句雑誌「火の島」8月号の俳句文語塾(久米芳仙)に面白いことが書かれている。

教科書などにも出てくる加賀千代女の有名な俳句

朝顔に釣瓶とられてもらい水

この句の、「に」は「や」で切れるのではないかという角川源義の意見があることと、飯田龍太「作品のこころ」に、千代女の生地加賀松任市の聖興寺にある茶掛けには「や」で書かれてあるということを紹介している。

「に」の場合を考えてみると、朝顔に釣瓶をとられるというのは不自然で、たとえ取られたとしても一晩の蔓の巻き付きくらいならそっとはずして水をくめばいいわけであまりにできすぎの感がする。優しさを前面に出しすぎで嫌味すら感じてしまう。

一方、切れ字「や」にして二句一章の句と考えると、全く違った意味が現出する。
朝顔や釣瓶とられてもらい水

これなら、泥棒か何かに釣瓶桶を盗まれて水が汲めなくなってしまった。仕方なくもらい水をしたとなり納得のいく句になる。盗まれたなんて無粋なことよと思うなかれ。俳人蘭更によれば、「あはれなるやうにてつよからず、いはばよきをうなの、なやめるところあるににたり」と絶賛したという。「や」にしてこそ、美人俳人の千代女の句姿になってくる。

以上が久米氏の要約である。
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# by attainmentofall8 | 2016-07-25 22:52 | 俳句/短歌/川柳