日々の雑感


by さむちゃん
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歌集をもらう




短歌結社「華」の同人藤村アサエさんが最近歌集「後頭の岳」を上梓された。出版祝賀会と読む会の案内と一緒に一冊届いた。



まず「後頭の岳」というタイトルに新奇さを感じた。「ごとうのやま」とルビが振られている。


朝あけてみどりさやかな夫の里後頭の岳に曇なびくなり



種子島生まれの藤村さんは、学校を卒業されると西之表で仕事をされていたが屋久島の方と結婚される。ご主人の屋久島の里の山が「後頭の岳」で、上掲の歌は遠くから眺めて懐かしんでいる心情が読み取れる。



山低く細長き島ザワザワと黍の葉そよぐわが種子島


昨日のこと忘れしままに何ごともなかつたやうに老いに入りゆく


嫁ぐ日に将来を語りし記憶なし後頭の岳は雪をかづけり


屋久島に嫁ぎて十年大家族なり吾が住みし部屋今に残れり


信号が青に変はれば歩き出す古希とふ齢抱きしめにつつ


華やぎの薄れそめたる二人居の部屋に真白きカサブランカ活く


代掻きを終へし棚田に水張りぬ風のかたちにさざ波はしる


水張田は空を映してま青なり風吹くままに山もゆれゐる


寄り添ひて四十年をつつがなしうす紫のあぢさゐ咲けり



嫁いで十年屋久島に住み大家族の中で専業主婦として生活し、その後鹿児島に転居される。二人の娘を育てあげ、現在三人のお孫さんがいるという。


「私が彼岸へ渡った時、ばあちゃんは歌を作っていたのかとこの歌集を手にとって読んでくれる孫が一人いたら幸せです。まことにささやかな自分史を恥じながら歌集といたします」とあとがきに書いてある。



川涯利雄先生が、あとがきのあとに「解説」を書いておられる。


種子島は平安時代から続く種子島家という名家が治めていたところである。一万石の大名だが、島津本宗家からも一目置かれ婚姻関係を重ねて家老職を務めてきた名家である。種子島家は代々歌会を大切にしてきておりそれが武家だけでなく商家や農家にも波及して島全体の風土になっている。島津が種子島家を大事にしたのは、こうした文化を持つ種子島家の品格だっただろう。藤村さんも、この深い文化の靄を内包しておられる。…



そして、種子島の短歌文化のエピソードが紹介してある。


川涯先生が若いころ種子島高校で教えておられたときのことである。ある女生徒(九人兄弟の末っ子)が家庭の貧窮から高校を辞めたいと言ってきたときに家庭訪問をされる。年老いた腰の曲がった父親に救済制度があることを説明されると喜んで、帰り際に洗いたての大根を持たせてくれる。後日先生がお礼代わりに短歌を一首その女生徒に持たせると、翌日その父親から返歌が来たそうだ。


大根の双葉の青く萌ゆるころ酒呑みに来むと言へば待たるる


この古老の歌が、種子島の土に沁み込んだ文化というものである。


まあ、ざっとこのような内容である。



種子島家の29代目時邦氏の実姉にあたる村川元子さんが「松寿院」という本を書いているがその中でもやはり種子島家の歌文化が脈々と流れているのがうかがえる。





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by attainmentofall8 | 2016-06-30 21:12 | 俳句/短歌/川柳

火の島

火の島6月号は100号記念特集である。2008年3月が創刊号。代表の丸山眞先生は、薩摩川内市の中央公民館で月一回行われているもくせい句会の先生でもある。


巻頭言の中で、丸山眞氏は、「投句者たちの作風や作句歴は、各人各様、多士済々、個性豊かであるが、『俳句は詩である』という意識を共有し、有機定型文語による表現を基調としているといえよう。」さらに、「…人と人が直接一座に会し、交流し、互いの作品世界を語り合う楽しさ、鍛え合う喜びを味わうという点では、誌友をもち、句会に出るという意味は計り知れないものがあるようだ」と書かれている。


平成15年に、「鴫」の伊藤白潮先生に俳句に教えていただくようになった時も、句会の大切さを言われた覚えがある。句会が終わってから一杯飲みながらの俳句談議がどんなに役立ったかしれない。俳句にはまってしまい、川内にUターンする原因にすらなってしまった。

師もお亡くなりになり、川柳に片足を踏み入れたころ、もくせい句会の丸山先生に出会ったのである。伊藤先生が引き合わせてくださったような出会いである。100号記念号を、「読んでみてください」と、そっと手渡されたときは運命すら感じた。


というのも、いつも句会直前に作った句を出すだけのマンネリに陥っているのを何とかしなくてはと忸怩たる気持ちを持っていたのである。今回「火の島」の仲間に加えていただくことにした。もっと真剣に作句に取り組んでみたいという思いからである。


100号記念号には、126名の方が「百号私の一句」に、コメント付きで投句されている。他に秀岳集自選10句、火の島集自選5句、噴煙集(丸山眞選)、小みかん集のかがやき(山下義照選)などなど、104ページの充実した一冊になっている。


檳榔の風立つ岬や亀生るる  板坂良子

昨年の鹿児島国民文化祭「佐多岬」の入選句との作者のコメント。


檳榔といえば、啄木の

檳榔の古木を想へその葉かげ海見て石に似る男をも 「海の声」を思い出す。


宮崎の青島へ渡る弥生橋のたもとに石碑がある有名な歌である。

檳榔は海風に吹かれる強い葉のイメージと、潮騒や潮の香りから、再生・門出・出発を喚起させられる。


鴫の流れでもある、「鶴」の石田波郷に、「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」という句がある。


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by attainmentofall8 | 2016-06-28 22:28 | 俳句/短歌/川柳

FM出演

FMさつませんだい87.1MHzの川柳番組「心の川柳~ここせん」に出演した。レギュラー出演者が旅行で出られなくなったためのピンチヒッターである。


朝9時半に川内駅ビルのスタジオに入り、20分ほどの打ち合わせ後に10時から1時間の出演となった。

局長が進行役、それと川柳仲間のあけみさんと夢修という三人での番組だったので気楽といえば気楽である。FM放送局専用のキューシート(Cue Sheet)に沿って進めていくのであまり余計なことが言える時間的余裕はない。合間にリクエスト曲が入りそのときだけは雑談ができるという雰囲気である。


局に入ってすぐに局長からリクエスト曲を求められたが、
If we hold on togetherはなくて、ではクラッシックでと思ってKathleen Battleを探してもらったがこれもなく…(局には2~3万枚のCDがあるそうだが)、教科書にもでてくる「コンドルは飛んでいく」がやっとみつかった。もう一曲ということで「ゴンドラの唄」を小林旭バージョンで見つけてもらった。


つばさ
7月号より「紅雀さん好みの10句」の紹介からスタートした。

次が川柳道場コーナー、事前に出されたお題に対して投句された中から優秀句を発表するものである。


「半分」というお題に

◎ひよこコース

 特選 確率は二分の一だ当ててみろ ぱんだ

◎白帯コース

 特選 真っ二つ割って出てきた桃太郎 ぱんだ

◎黒帯コース

 特選 半眼の教えを胸の隅に置く 十六夜

 準特 半分は許してくれている顏だ 文切


折句コーナーに移ると、

「ぴ・あ・の」 

人 ピンチです甘い誘惑伸びてくる  ちかよし

地 ピアニスト甘い調べのノクターン ちかよし

天 ピンチでもあなたがいれば乗り切れる ぱんだ

軸 ピンチですあなたの舟に乗ってから よったま


「た・お・の」

人 たすけて…の声御巣鷹が飲み込んだ 清展

地 太陽に重い心を覗かれる たかこ

天 短冊におしゃれな一句載せてある ちかよし

軸 旅に出る男電車を乗り換える よったま


最後が、川柳相撲コーナー

「約束」「濁る」「つるつる」の3題をBGMが流れている時間内でつくり、それぞれ局長、あけみ、夢修が選者になり優劣を競うという趣向である。


夢修選「つるつる」

つるつると掴みどころのない人だ あけみ

窓を滑る雫は誰の涙だろ 局長

局長に軍配をあげた! さすがめきめき腕を上げている局長だ。

軸 つるつるのお肌にフンを塗りつける 夢修


「約束」朝刊じゃなく妻をみて朝ごはん 夢修

「濁る」わさび田にうまれ黄河に流される 夢修

を出したが、全敗だった。

貴重な経験ができた一日であった。


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by attainmentofall8 | 2016-06-25 21:36 | 今日の一日

歴史資料館の公開講座に参加して


「モノ」から視る薩摩の対外交流史

  講師は、坊津輝津館の橋口亘氏


薩摩塔という石塔の話で90分の講演が終わった感じがする。1958年に齋藤彦松氏によって発見された石塔だが、当初は坊津特殊塔と呼ばれていたそうで形状や石質から中国福建省のお寺にある石塔に酷似していることが確認された。南さつま市の加世田や金峰町、南九州市の川辺町にも広く分布しており現在までに県内だけで13体発掘されているという。さらには、長崎、佐賀、福岡といった九州西岸部の県からも発見されている。


浙江省の梅園石に岩石の成分が似ているそうだ。塔の下のほうから須弥壇部、塔身部、屋根部、相輪部という基本構成になっている。薩摩塔の特徴は、須弥壇部に高欄がついており塔身部には壷状のくぼみがあり本尊が安置されている。上からは四角形や六角形見える。高さは60㎝ほど。


どういう目的でこのような塔が作られたのかはいまだに謎だそうだ。中国から長崎を経由して鹿児島に持ち込まれたという説を橋口氏はとっているとのこと。


素人考えでは、種子島に伝わった鉄砲でさえ一年もせずに日本人は自力で火縄銃を作れるようになったことを考えると、薩摩塔も重いものであるだけに一基現地から調達したらあとは加工のしやすい凝灰岩系の石を使って自分たちで作っていたのではないかと推察する。訊いてはみなかったが、日本に浙江省の梅園石に似た岩石はでないのか調べてみる必要がありそうだ。


最後のほうで、唐人墓や青磁の話があったが、坊津あたりには中国人だけでなく貿易に携わっていた外国人が多く住んでいた居住区があったそうなので、唐人の墓があることも彼らが使ったであろう青磁が多数発掘されているのもうなづける。


薩摩の硫黄島は硫黄の大産地であるが、薩摩は硫黄の販売で鉄砲伝来以降ますます発展していったものと推測される。先週の講座でも講師の先生(西郷南洲顕彰館学芸員)が指摘されていたが、薩摩藩の資金力は、沖縄を介しての密貿易、サトウキビの専売制、そして硫黄の販売だそうだ。


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by attainmentofall8 | 2016-06-25 20:37 | 歴史

月例もくせい句会

きょうは、月一のもくせい句会だった。参加者15名。「火の島」の会長、丸山眞先生に指導に来ていただいている。

本日の最高得点句
6点 梅雨空や紅の襷の棒の舞  和子
6点 万緑や神燈坂を登り切る  レイ子
6点 舟虫の八方に散る幻化の碑 ミヨ

天賞 子育ての遙かな疼き要黐   キヨ子
地賞 赤蟻の重き足どりうすぐもり 順子
人賞 舟虫の八方に散る幻化の碑  ミヨ

夕立に躍る背中のランドセル  綏子
→ 夕立ちや踊る背中のランドセル
「に」を「や」に変えるよう指導があった。切れを入れるだけで見違えるような佳句に変わる。

帰るなり児は直行す冷蔵庫 R.N.
この句に対して、「家庭のなかで冷蔵庫がどのような位置を占めているのか」見つけるといい、としながらも俳句の材となるかどうかを考えてみる必要があるという指摘があった。

寡黙なる医師や泰山木の花
今宵また泰山木の花しのぶ  
この二句をあげて、同じ泰山木の花を詠みこんでいるが、内容的には前者のほうがはるかに優れているということだった。「また」や「花しのぶ」から少し作為性が強すぎる感じを受ける。
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by attainmentofall8 | 2016-06-20 23:32 | 俳句/短歌/川柳

薩摩藩の偽金造り

歴史資料館で、西郷南洲顕彰館の徳永和喜氏の講演があった。


演題は「薩摩藩の討幕資金 偽金造り」



薩摩藩の討幕資金として大きく三つ収入源があった。①奄美の黒糖の専売制による上がり ②琉球口の密貿易(幕府から許可をもらっていたとはいえそれ以上の取引があった)③偽金造り(300万両から500万両ともいわれる)



偽金の根拠となる資料は、偶然にも発見された鋳造局総裁をしていた市耒四郎の日記だそうだ。


計画の発端は島津斉彬公(1809-1858)で、琉球通宝を集めて天保通宝に作り変えメキシコ銀貨を介して二分金を調達しようというものだったらしい。


しかしながら斉彬公は1858年に亡くなるため、久光公に引き継がれる。



斉彬の発想のすごさは、当時琉球を支配していた薩摩藩が琉球口の貿易のために琉球通宝造りを幕府に求めたところである。安田轍蔵に幕許を担当させ、江戸から鋳造の専門家西村道弥を呼び寄せ、加治木の鍋屋で試験的に作らせている。



藩が幕府に許可を申請したのは文久2年(1862)6月16日、そして許可が下りたのが同年8月12日。さらに鋳造所が磯にできたのが12月22日。電光石火の早業である。斉彬公逝去4年後のことである。薩摩藩は幕府許可高をはるかに上回る量を密造する。その額、安田轍蔵によると500万両だったとも。



幕末維新期に、実は薩摩藩以外の藩でも偽金造りは行われていた。加賀藩、会津藩、安芸藩、土佐藩などでも質の悪い金貨が大量に贋造されていた。



討幕は薩摩などの潤沢な資金をもつ藩が中心となって成し遂げられたというのが通説であるが、講演後の質疑応答で、「グラバーを介して外国のお金が討幕資金に使われたということはないですか?」という質問をしたら、正確な回答は得られなかった。坂本龍馬や長州藩などが活躍できた資金はどこから出ていたのかいまだに疑問として残る。









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by attainmentofall8 | 2016-06-19 12:00 | 歴史

第18回青の俳句大会

今年度の青の俳句大会の募集が始まった。
先日、薩摩川内元気塾に呼ばれて近くの小学校で俳句の授業をさせてもらったので
、子どもたちにはがんばって最高の句を締め切りまでに作って応募してほしい。

平成28年度 青の俳句大会
 対象:小・中・高校・特別支援学校に在学する児童と生徒

 応募方法:未発表の作品ひとり二句以内。A4判の指定用紙に学年、氏名 を明記、所 属学校を通じて郵送。個人応募も可。要項、応募様式などは南九州市のホームページからダウンロードできる。

 9月7日(水)必着



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by attainmentofall8 | 2016-06-17 18:57 | 俳句/短歌/川柳

歴史資料館訪問

山本実彦関係の資料を多数収蔵する薩摩川内まごころ文学館に、先日友人と資料閲覧の件で相談に行った。きょう、あらためて出かけたところ館長と担当の学芸員に丁寧に対応していただき有り難いことであった。

その足で、大浦兼武関係の資料を探すためにさつま町の宮之城歴史資料センターに出かけた。幸いに大雨のため来館者が一人しかいなくて、館員のかたに丁重に対応していただいた。しかしながらやはり書簡類は申請書類をだして許可の上でなくては閲覧できないということだった。

歴史資料センターは、虎居城址が眼前にひろがり蛇行する川内川が見下ろせる位置に建っている。島津義久・義弘の弟歳久が居城していた城である。歳久が兄義久公より祁答院の地を賜ったのは天正8年(1581)のことである。

天正14年に歳久は秀吉より島津が大友と和議を結ぶことを勧告される。それを受け「秀吉は…匹夫より起り、位人臣の栄を極む。この際六州二百万石の封を受け快く大友氏と和議を結ぶこと、本望なり」と義久以下居並ぶ重臣たちの前で述べるも、却下される。

その後、島津は秀吉の軍門に降るわけだが、歳久は秀吉・義久の和睦寺として有名な泰平寺にも表敬訪問することなく徹底抗戦を主張する。結局義久より討伐軍を送られ自害する悲運の武将である。

急ぎ足の慌しい一日であったが、今後につながる貴重な一日になった。


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by attainmentofall8 | 2016-06-16 15:00 | 歴史

銃乱射事件

米フロリダ州のオーランドで起きた銃乱射事件、また起きたかという感じであるが今回の事件は史上最悪の死者50人、負傷者52人である。事件が起きるたびに、銃規制が各方面から言われるが、我々日本人の感覚とは全く違う論理で銃の取り締まりに反対が出ているようだ。

A resounding 'yes' will be the answer of theNational Rifle Association, one of the most powerful lobbies, dead set againstany fettering of the US citizens' right to purchase and possess what firearmsthey please. It has long been its unabashed slogan that 'Guns don't killpeople, people kill people'!

In the wake of one such equally horrendousmassacre (the Sandy Hook Elementary School, New Town, Connecticut) some yearsago, the NRA had the temerity to say that if only all the teachers and pupilshad carried arms, the tragedy would not have happened.

Another lobbying group, the Gun Owners ofAmerica, is reported to have declared that the members of the US Congress whovoted to ban guns from schools had 'blood on their hands', adding, 'They arethe ones who made it illegal to defend oneself with a gun in a school, whenthat is the only effective way of resisting a gunman.'

アメリカ最大の圧力団体の一つであるNRA(全米ライフル協会)は、「銃が人を殺めるのではなく、人が人を殺めるのです」を金科玉条の標語にしている。

コネチカット州のニュータウンの小学校で起きた銃乱射事件(26人の子どもが死亡)の時でさえ、「先生や生徒が全員銃を所持していたらこんな悲劇は起きなかっただろう」と言い放ったという。

またもうひとつの圧力団体である米国銃所有者協会は、「学校での銃所持に反対するアメリカ議会の議員たちにこそ責任がある。学校で、銃を使って身を守るのが銃襲撃者から身を守る唯一の方法であるにもかかわらず議員たちはそれを違法とする人たちである。」と声明を出したと伝えられている。

銃所持を独立宣言や憲法で保障された権利だとする考え方から抜け出せない以上、アメリカから今回のような銃乱射事件で大量殺りくはなくならないだろうと思う。

レーガン大統領の報道官だったジェームズ・ブレイディーが暗殺未遂事件の巻き添えで負傷し、のちにブレイディ―法と言われる銃規制法を作るのに貢献するが10年の時限立法だったために2004年に失効している。またアソールト・
ウエパン法( federal assault weapons ban)によって自動小銃のような大量殺戮に使われる可能性のある銃の規制もなされたがこれも2004年に失効している。

このような背景があるアメリカにおいて、就任早々核廃絶に向けた宣言をしたオバマ大統領がノーベル賞をもらって意欲的に取り組もうとしたが理想と現実のギャップに挫折したのもうなずける。国内の銃規制もままならない国が、核廃絶が成し遂げられるはずはないと悲観的な見方をしてしまう。


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by attainmentofall8 | 2016-06-14 21:50 | 雑感

元気塾(俳句指導)

近所の高来小学校から、俳句指導講師として声をかけてもらったのは二ヶ月ほど前のことである。青の俳句大会の主催団体の一つにもなっている福永耕ニ顕彰会の会員ということも呼ばれた理由かもしれない。ひとりで1年から6年を受け持つのは無理なので、俳句仲間の先生にお願いして低学年を担当することになった。ただ1年生はまだひらがなを習ったばかりでカタカナも正式には習っていない。1年から3年まで一緒というのもたいへん教えづらいものがある。


実際、きょうパワーポイントをフル活用してできるだけわかりやすくしたつもりだが、1年、2年、3年では反応が全然違った。1年生の言葉で話をすることが、いかに骨が折れることか実感できた。


2限と3限の2コマ(90分)もらったので、前半は「俳句とは?」というテーマで話をした。俳句のルールや入選句の鑑賞で正味30分があっというまに過ぎた。後半は、夕焼けや鉄棒、恐竜などの写真をみて俳句を作ってもらう時間に当てた。時間がたっぷりあれば学校周辺を歩きながらの吟行ができたのだろうが…。


初めての俳句作りにしては、子どもたちはびっくりするような素晴らしい句を作っていた。自由にのびのび作ることを勧めるのが狙いでもあるので、あまり細かい点は指摘しないように気を遣った。ただし一点だけ、「たのしいな」「うれしいな」「きれいだな」…などの言葉を使わないようにして、読む人にその感動が伝わるように考えてみるようにアドバイスした。


これは大人でも難しいことである。

さかあがり見ていてくれた秋の空  2年野口青葉

さかあがりにゅうどうぐもをけとばした  3年濱田葵

できた瞬間のよろこびを「みてくれていた」という表現に感謝を込めているようにも感じられる。秋の空がいい。いっぽう入道雲の句は練習をいっぱいやったということも、できた瞬間のさかあがりのこつも表現できている。入選する句だけのことはある。


夕焼けよあしたはやさしいぼくになる  6年 作元俊介

あかとんぼそうがんきょうもまっかだな  1年 末吉隼大

ゆうやけの美しさに感動して、反省の心が芽生えてきたのだろう。心を丸くしてくれる自然の美しさも意図せず詠みこめている。双眼鏡を通して拡大されたあかとんぼ、たぶん夕焼けの赤が背景にあるのかもしれない。きれいという言葉を使わなくても読む人にはじゅうぶんその感動が伝わる。


このようなことを言おうとしたのだが、なかなか一年生に理解されることばをみつけられず撃沈したような無念さだけが残った。


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by attainmentofall8 | 2016-06-11 22:40 | 俳句/短歌/川柳