日々の雑感


by さむちゃん
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<   2013年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧

長島造形美術展

隔年に開催される長島造形美術展の作品から

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by attainmentofall8 | 2013-10-31 23:34 | イベント・お祭り

美人湯??

マラソンシーズン到来である。来月は「お狩場マラソン10km」、12月は「阿久根ボンタンマラソン、ハーフ」と続く。昨年は、阿久根マラソンの後に高城温泉に友人たち7名で一泊したが、今年から宿泊できなくなった。

かわって今年は、市比野温泉にたいへん歴史のある旅館があると聞いて予約することにした。昭和4年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が、川内出身の改造社社長山本実彦の招待で鹿児島に来た際に一泊した温泉宿として有名なところである。建物も当時のままである。泉質は単純温泉でつるつるのお湯で美人湯といわれているそうだ。九州八十八湯めぐりのひとつに選ばれてもいる。

晶子はこんな一首を残している。
水鳴れば谷かと思ひ 
遠き灯の見ゆれば原と思ふ湯場の夜

鉄幹は温泉宿では歌は残していないようだ。 まあ晶子が彼の最高傑作作品だといわれるくらいだから、飲んでひっくり返っていたっていいのかもしれない…(笑)


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by attainmentofall8 | 2013-10-30 18:32 | ふるさと鹿児島

信玄公の銅像

甲府に向かう車窓から葡萄畑が見える。とくに勝沼ぶどう郷駅のあたりにくると、山の斜面に人家と葡萄畑が混在して素晴らしい景観を呈している。

日本有数のワイナリーの郷だけのことはある。美味しいぶどう酒が飲めることを期待しながら甲府に向かった。石和温泉や湯村温泉も近くにあるようだ。ちょっと足を伸ばせば昇仙峡にも行ける。今回は、視察旅行なのでそんな余裕はないが、またあらためて来てみたいと思う魅力あるところだ。

甲府駅の南口右手に、大きな銅像がある。武田信玄公の像である。ちょっと怖そうな顔をしているが、戦国武将の顔ともいえる。薩摩人が西郷さんを敬慕するのと同じように、甲斐の人たちも、信玄公をきっとそう思っているのだろう。
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by attainmentofall8 | 2013-10-30 00:55 | 雑感

山梨国文祭 川柳

この週末、山梨県の国民文化祭(川柳部門)の視察に出かけた。

川柳の会場になった甲府市は、今回9つの事業を主催している。しかも4月の大華道展を皮切りに来月10日まで続く長期イベントである。川柳は7番目の主催事業のせいか実行委員会や川柳協会の運営、連携ともそつのないものに感じられた。

大会終了後は、甲府の迎賓館といわれる常盤ホテルで交流会があった。鹿児島国文祭、プレ大会の宣伝をさせていただいた。佐賀や熊本の柳友の方々が舞台上で勢ぞろいして応援してくださり助かった。ありがとうございました。

今回いろいろな面で視察の成果が上がったと思う。プレ大会に活かせたらいい。来年の国文祭は秋田県なので参加してみたい。

大会入賞句
文科大臣賞
生きたくて大根つるす紐を編む 藤塚貴映子

国文祭実行委員会会長賞
宇宙から来た石ころは頭が高い 望月弘

山梨県知事賞
不景気を乗り切る主婦の塩加減 加賀谷日和

山梨県実行委員会会長賞
葡萄ひとふさ王さまのように食う 新家完司

県教育委員会会長賞
編みかけの帽子にも来た一周忌 安永理石

甲府市長賞
笑い皺だったのですね干しぶどう 武田笙子

市教育委員会会長賞
陽が昇る山に嘘など言えますか 西村美保子

全日本川柳協会会長賞
デジタルの谷間で探す非常口 木田比呂朗

県川柳協会会長賞
登録の富士にぶどうも瑠璃となる 天野真金
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by attainmentofall8 | 2013-10-28 22:17 | 俳句/短歌/川柳

富士登山

先日テレビで、富士山に登った初めての日本人女性「高山たつ」を紹介していた。1832年(天保3年)のことである。当時、富士山は女人禁制だったため男装して、しかも夏の登山シーズンを避け、当時として登れるぎりぎりの10月に行者に紛れて吉田口から登頂している。

たたまた新田次郎の「芙蓉の人」を読んでいて、明治時代に夫とともに富士山頂に2か月ほど滞在した女性がいたということを知った。

野中千代子である。夫の野中至は中央気象台の嘱託を受け、臨時富士山測候所員としてひと冬山頂で越すつもりで登る。妻が秘密裏に後を追って登り結局は、二人で気象観測に従事する。

山頂の零下20~30℃の極寒のなかで体調を壊し下山せざるを得なくなるが、今と違って防寒服や食料品も貧弱な中でよく持ちこたえたものだと驚嘆する。野中千代子は福岡の士族の娘だが、理解ある両親に恵まれていたことも幸いしている。

外国人女性の富士山初登頂は、1867年、英国の駐日公使を務めたハリー・パークスの夫人が登頂した記録があるそうだ。パークスと言えば、薩英戦争後、薩長を支援して明治政府を最初に承認した人物である。

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by attainmentofall8 | 2013-10-25 22:36 | 歴史

コスモスの花見

鹿児島市の都市農業センターにある約8,000平方メートルの大花壇に咲き誇るコスモス。
年によって変わることもあるらしいが、秋は「コスモス」、春は「菜の花」、夏は「ヒマワリ・クレオメ」の花見ができる。

川柳や読み聞かせの会の人たちとの花見会に参加した。降灰もなく最高の花見日和で、ランチを楽しみながら話も弾んだ。話芸に長けた方、三味線を弾いてくれる方がいて盛り上がった。近くの花見客も珍しそうに話しかけてきたり、ある髭のおじさんが飛び込みで民謡を歌ってくれた。


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by attainmentofall8 | 2013-10-22 21:22 | 今日の一日

大きな月

土曜日が満月だったので今日の月は「立待月」。10時ごろ山際にかかっている月があまりに大きく美しく見えるので写真におさめてみた。ところが写真を見てみると普通の月の大きさにしか写っていない。あれぇ~目の錯覚だったのか…。調べてみると、

大きく見える理由には ①目の錯覚
②月は地球を楕円軌道で周っているので、遠いときと近いときがある

Ⅰ.目の錯覚
空(大気圏)は、真上は近くて、水平方向は遠く見えるので、同じ大きさの月は低いところに見えるときに大きく見え、高いところにあるときは小さく見える。

Ⅱ.月は遠いときと近いときがある
月の軌道は楕円形だから。
平均半径 384,400 km
近いとき 350,000 km
遠いとき 408,000 km
近い時と遠い時では、58000kmも違うことになる。

中村汀女の句に、「外にも出よ触るるばかりに春の月」があるが、汀女も手に触れるような大きな月を見て感動したのだろう。
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by attainmentofall8 | 2013-10-21 23:59 | 雑感

ごろつき薩摩?

10月18日付の南日本新聞の南風録に、「ごろつき薩摩」という言葉が紹介されている。敵意に満ちた言葉だけに、誰の発言かと読み進めると、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の弟昭武が明治二年の日記に書きつけているそうだ。ヨーロッパ留学中の昭武が、兄の名代で、江戸幕府が初出展した1867年(慶応3年)のパリ国際博覧会に出席した折、一独立国家のごとくふるまう薩摩藩を苦々しく思ったのが伏線になっているとある。

万博のあった1867年は、明治維新の前年で慶応3年。激動の真っただ中の時代である。薩摩藩は徳川幕府とは別に独自に出展。日本初の勲章を作ってフランス高官に授与してもいる。まさに一独立国家のごときふるまいで、徳川方が苦々しく思うのもうなずける。

1862年の生麦事件、そして翌年の薩英戦争をへて薩摩藩は海外の脅威をまざまざと実感する。また江戸幕府の瓦解を確信する。先手を打つ形で、1865年3月には薩摩スチューデンツと呼ばれる若者19名あまりを密航覚悟でイギリスに留学させている。

慶喜が第15代将軍に就いたのが1866年の夏、暮れに孝明天皇が崩御。翌年1867年10月明治天皇は大政奉還を勅許、12月には王政復古の大号令が発せられる。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗退して1868年3月西郷隆盛・勝海舟の会談を経て、4月11日には江戸城が無血開城する。

江戸幕府の弱体化と海外勢力の進出など情勢の変化を察知していち早く討幕勢力を結集していった薩摩藩を、将軍の弟がよく思うはずがない。まして徳川幕府がなくなった後の明治2年、ヨーロッパからの帰国途上での日記への書き込みである。公家のボンボンからみれば野武士のごとき薩摩武士は「ごろつき」に見えたのだろう。ただ、西郷の恩情や篤姫の嘆願などで徳川家が存続することになったことを考えると感謝されこそすれ、敵意むき出しの「ごろつき」はなかったのではと思う。

このコラム欄から考えたことは、維新後の薩摩が依然として一独立国家のおもむきで存在していたのではないか、そしてそれがために西郷、大久保は悩み西南戦争へとつながっていったのではないかということである。

廃仏毀釈、版籍奉還(1869)、廃藩置県(1871)と新政府は着々と地固めをしていく。ところが西郷は1873年下野、藩主忠義の父久光は、新政府内で顧問、左大臣と重責をまかされるも1876年下野して鹿児島にもどっている。軍事訓練機関というべき私学校が県下に136校の分校をもって明治新政府ににらみを利かせていたわけである。

一方、佐賀の乱から始まり、熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と新政府へのクーデターともいうべき乱が勃発するなかで、私学校も不平士族のマグマを一触即発の状況で抱えていた。明治維新の功労藩である薩摩が新政府に同調しないばかりか、いつ爆発するかわからない不平士族をかかえていたのでは明治政府は安定した政治をやれない。そこで考えたのが、西郷と大久保の超腹芸。不平士族もろともに自滅し言論の社会に変えるというすご技。これが僕の長年の空想論である。

西南戦争を境に実際ぴたりと武力による反乱は止み、以後国民は言論による政治を行っていくことになる。西郷なくして明治維新は完結しえなかったし、近代国家への歩みはまた違っていたろうと考える。


薩摩スチューデンツの像の前で読書をするアメリカ人女性
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by attainmentofall8 | 2013-10-19 20:25 | 歴史

インスタントラーメン

インスタントの「熊本ラーメン」をいただいた。ゆるキャラのくまもん付きである。

乾麺は細麺にみえるが5分ほど茹でると中太麺になる。味は豚骨味。食べるまではそんなに期待していなかったが、食べてみてその味に驚いた。今まで食べたインスタントラーメンの中で一番ではないかと思う。ゆで卵とまいたけ、海苔の付け合せ。


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by attainmentofall8 | 2013-10-17 22:47 |

大隅物産展

鹿児島中央駅前で昨日行われた大隅物産展でみかけた
鹿児島のゆるきゃら「ぐりぶー」

鹿児島三大祭りのひとつ「弥五郎どん祭り」のミニチュア「弥五郎どん」。本物は約5m
25反の梅染めの衣に4m25cmの大小二刀を携え、縦1.7m横47cmの下駄を履いている。
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by attainmentofall8 | 2013-10-14 08:41 | ふるさと鹿児島