日々の雑感


by さむちゃん
カレンダー

<   2013年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

ソプラノリサイタル

本日は夢修庵ソプラノリサイタル。
ソプラノの間瀬田さんは、ご両親ともども宮崎から遠路はるばる来ていただいた。ピアノの脇絢乃さんは、伊集院から、お母様とご一緒に来て下さった。

リハーサルの第一声から戦慄が走るような感動を覚えた。本番でも、ぐいぐい引き込まれていくような迫力ある魅力的な声である。寝たきりのご老体がガバッと跳ね起きて、歌に合わせてリズムをとっているような衝撃があった。前半特によく知っている日本歌曲が続いたので、一緒に歌っているような気持で聴き入っていた。
ピアノは独奏も入って、ずっと弾きっぱなしであったが、これまたすばらしい演奏だった。

田舎の人家でこんな素晴らしいソプラノリサイタルが開けたことはありがたいことであった。この企画の実現に力を貸していただいた間瀬田紋章さんには、いくら感謝して感謝しきれないくらいだ。ありがとうございました。
a0158075_23181041.jpg
a0158075_23182894.jpg
a0158075_23184761.jpg
a0158075_23191054.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-11 23:18 | 音楽、コンサート

ついに明日公演

待望の夢修庵ソプラノリサイタルが明日になった。早朝に庭の草刈りをして、夕方からは机を撤去して来場者をお迎えできるようにした。チケットを販売しているわけではないので、最終的に何名来てくださるかわからないが、満員御礼になるのは間違いないだろう。
扇風機が8台、エアコン2台がフル稼働することになる。団扇もほぼ人数分そろっている。

普通なら、コンサートホールでしか聞けないようなソプラノリサイタルを、普段着でしかも畳の上に座って至近距離で聴けるなんてなんと贅沢なことと思う。詳細は、あしたのブログで掲載する予定だ。来られないかたは乞うご期待。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-10 21:10 | 音楽、コンサート

老眼

最近どうも目がちらついて見えづらい。老眼鏡をかけるのも嫌なので、眼球運動やブルーベリーでしのいでいるがいつまでもつか心配だ。

日航のベテランパイロットが提唱していたのは、遠方と近くを2~3分交互に15分ほどみつめる目の運動だ。すでに近眼でメガネをしているので参考になるかわからないが、焦点を合わせることに変わりはないので無理やりでも15分から20分は意識して目に負荷をかけるのがいいのかもしれない。
a0158075_2282372.jpg
a0158075_2283240.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-08 22:08 | 雑感

南洲翁の偉大さとは

南洲翁(西郷隆盛)の偉さは何か?

鹿児島出身の作家海音寺潮五郎は、「西郷の偉大さはその個人から立ち上る香気のようなもので、直接対面してみないとないとわからない」と書いている。

渡部昇一は「読中独語」の中で、なぜ偉いかを凡夫にも考えさせるところが南洲の偉大さだろうと禅問答のようなことを述べている。続けて、南洲は余暇に強かったのだろうと言う。余暇が、ある人間の生地であるとすれば、南洲は稀にみる魅力的な生地であったろうというのである。

鶴岡出身の渡部氏のひいき目もあろうが、おおむね妥当な線だろう。庄内藩は明治維新期に会津藩と並び徳川方につき官軍に強硬に抵抗した藩である。庄内藩が降伏するや西郷は庄内藩主と対面し、慈愛で接し藩主以下西郷ファンにしただけでなく、新政府への協力者にしてしまったのである。西郷の死後、南洲翁遺訓をまとめたのは庄内藩士で、薩摩に西郷を慕って留学していた人たちである。小学校時代にその南洲翁遺訓を素読して育った渡部氏ゆえのこの卓見である。

人間の生地がいかにつくられるか、氏の考えによれば、余暇時間の使い方になる。東西の古典を味読し、事物を考証して飽かず、世間を観照してますます人生観を深めていくならばそれがとりもなおさずその人の生地になるというのである。南洲翁の波乱万丈の生涯を考えた時、大久保や大山、久光などとは見え方が違ったのも必然かもしれない。

西南戦争時に留学中の庄内藩士を一部帰したり、鉄壁の熊本城の落城に固執するなど不可解な戦略である。初めから東京に攻め上がるつもりはなかったように思うし、自滅を予想していたようにも感じる。明治天皇より大赦を受けているのも、西南戦争の意義を理解し南洲翁の功績を認めたからに他ならないと確信する。

茫洋として歴史のうねりに身をゆだね、後世にその歴史的意義は忖度してもらうような身の処し方にこそ、南洲翁の偉大さがあるように思う。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-07 23:56 | 読書

楽観とは

知り合いが自死したというニュースが飛び込んできた。知り合いと言っても、名前と顔を知っているという程度で付き合いがあったわけではない。母親と二人きりの生活で、50歳になったばかりだと思うが、母親が寝たきりなって将来を悲観したのかもしれない。
こういう例は、事前に兆候があるはずだ。何とかコミュニティーで未然に防止できなかったのだろうか。悔やまれる。

性格的に自省的で悲観しやすいというのもあるだろう。脳の伝達物質ドーパミンの異常もあるのかもしれないが、50年も生きてきているのだから、環境しだいでは自死しなくてすんだかもしれない。母親の病状の悪化が原因かもしれない。真相はわからないが残念なことだ。

昔読んだ本に、記憶が定かではないがおおよそこんなことが書いてあったのを覚えている。
兄弟二人いて、兄は悲観的、弟は楽観的に常に物事をとらえる傾向があった。
父親はこの傾向を逆転させようと考えて、あるクリスマスイブに、兄には金の時計を、弟には馬糞を入れた袋をプレゼントする。

翌朝、プレゼントに気付いた兄は、こんな高価なものをもらって、盗まれてしまうのではないかと考えると夜も眠れなくなると暗い顔をする。一方、弟は馬糞があるということは、神様は仔馬を下さったに違いないと言って、嬉々として近所に探しに出かけるのである。

要はこの差だろうか。「死んで花実が咲くものか」なのである。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-05 21:08 | 雑感

草刈作業

今朝は朝6時から地元の夏祭りのために、近くの河川敷の草刈り奉仕作業。ぞうりん鎌という1m50cmほどの鎌を手に土手の草刈りをした後、熊手で他の人たちが草刈り機で刈り取った草を集めてまわった。草刈り機の排気ガスで頭痛になったことがあったので、きょうは後方作業だけやらせてもらった。

排気ガスを出す草刈り機を背負って汗だくになりながら作業し、休憩時間という声がかかると肩で息をしながら集まる作業員の方たちが、さらにたばこの煙を吸い込みながら悠々としているのをみると、人間の適応能力に感心させられる。

田舎ほど喫煙者が多いように感じる。子供たちがいるのにあまり配慮がないのは環境だろうとあきらめるしかない。


夜は近くの別の町の夏祭りを見学に行ってきた。フラダンスチームの中学・高校生が生き生きして実に笑顔が美しい。一日の労働の疲れが癒された感じがする。
a0158075_21235136.jpg
a0158075_212463.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-04 21:24 | 今日の一日

方言「ワイガ」

柳誌「つばさ」8月号で、ある方が、中学時代の思い出話を書いておられる。
昭和30年代前後の話のようだ。

標準語を使おうという校内標語の募集があったそうだ。特選、他の秀作品は覚えていないにも関わらず、ある生徒の「ワイガをやめて君と呼ぼう」という佳作だけは未だに頭に残っているとのこと。

日本全国で方言に対する偏見や差別があった時代である。自信をもってしゃべれていたのは、東京弁、大阪弁、京都弁くらいのものではないだろうか。あとはコンプレックスの塊である。とくに鹿児島弁は県外に出たら矯正しなければならないものと考えられていた。鹿児島弁をしゃべっている先生たちが、「方言をしゃべるな」とか「作文で方言を使うな」とか指導していたのを覚えている。

いま考えてみるに、好意的に翻訳すれば、鹿児島を出ていく将来を考えて今のうちから少しずつでも標準語を覚えていきなさい、という親心だったのだろう。ただほとんど教育的効果を上げることなく、実際は鹿児島を出てから現場で実地で標準語をしゃべれるようになったという人がほとんどだろう。テレビもあまり普及していない時代の、徒労感がいっぱい詰まった思い出である。

ただ冒頭の思い出は、鹿児島の封建的体質が垣間見えて興味深い。士農工商の時代に、薩摩武士は大きく城下武士(じょうかざむらい)、外城武士(とじょうざむらい)に分けられていた。外城武士は半農半士として農業に従事しながら農階級を直接支配していたのである。そのような歴史的背景から、薩摩藩独特の上下関係や「義を言うな」=「意見をいうな。たてつくな」という絶対服従の藩風が育まれた。西郷や大久保もたまたま島津斉彬に引き立てられたのでよかったが、郷士階級なので、大変な抑圧を受けたらしい。

まあその名残が「ワイガ」という言葉だろう。今でも「うちは士族だ」という人もいるくらい根深い土地柄である。戦後の民主主義の平等社会において、方言の追放を名目にして、「君」を使おうと教育現場で勧めたのは意義のあることだったと思う。

鹿児島は人材供給県と言われる割には、八方破れの秀才や異端児がいないように思う。これは上記のような呪縛から親も子も逃れられていないからかもしれない。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-02 23:34 | 雑感

多様性を認める社会

先月末の山口県、周南市金峰(みたけ)集落で起きた連続殺人放火事件。容疑者も逮捕され一件落着のようだが、この事件の問いかけているものは大きい。

多様性(Diversity)がなかなか理解されない日本のしかも田舎の小さな集落で起きた悲劇といえる。外国人ならまだしも同類であったところが悲しい。報道によれば、容疑者は両親の面倒を見るためにUターンして、しかも村おこしのためにいろいろな提言もしていたという。いろんな因縁が重なってのことだろうが、この集落の長(おさ)、長老は何をしていたのだろうか?!と思う。

大人のしかも知恵も人生経験も豊富であろう老人たちが、自分たちと違っている、変わり者だという理由でつまはじきにして、挙句の果てには殺人・放火まで招いたのだから、可哀そうを通り越して事前にもっと対応の仕方があったのではないかと、岡目八目で後知恵かもしれないが残念に思うのである。容疑者を擁護するといった話ではない。この種の事件は、どこの田舎の集落でも起こり得ることだけに、一人対集団の場合、集団側がもっと機敏に対応をすべきである。

学校でのいじめの問題も、根本には大人社会と同じ多様性を認めない、異質なものに対する許容度があまりに小さいところに起因しているように感じる。その点、移民の国アメリカなど異質な人種の集まりなのでその点の許容度は日本などの比ではない。見知らぬ人ににっこり笑顔で接してくれるのも、敵ではないというシグナルを早めに出すことが銃社会での身の安全にもつながるからではないかと思う。

異質な人間が自分で自覚してうまく立ち回ればいいが、そうでなければその地域社会全体で出番、役どころを見つけて取り込んでいくようなコミュニティーの在り方でないとこの種の事件はまた起こるのではないかと心配する。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-01 23:34 | 雑感