日々の雑感


by さむちゃん
カレンダー

<   2013年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

真の教育とは…

世の中にはユニークな研究をされている方がいるものである。
元鹿児島県教育長の濱里忠宣氏の実兄正治氏が著書「我が邂逅」の中に書いている。

口元をだらしなくだらーんと開けている放愕(ほうがく)の子どもがどのくらいの比率いるのかという放愕率調査を行った研究者がいるそうだ。それだけでなく、青洟を垂らし、袖をピカピカに光らせている子どもの放洟(ほうい)率やよだれをたらたらと垂らす子どもの放涎(ほうぜん)率を調べ、子どもの知能や成人後の職業まで調べてその相関関係をレポートしたものがあるそうだ。

その内容までは書かれていないが経験から、外見的ハンデとは裏腹に意外と潜在的才能を秘めていて、それが学校にいる間は顕在化しないが、成人後は一般の予想に反して驚くような出世をするものである。

濱里氏は「外見、外貌に劣るもの、身弱きものの内面に隠された美しい鉱脈にこそ、教師は心の眼を注ぎ、それを引きだし育てることに努めるべきである」という。さらに「形を変えた現代の放愕、放洟、放涎の子ども達に、温かい愛の手を差しのべることこそが、今日の教育の課題の一つである」という。

同感する事しきりである。鹿児島にこういう慧眼の人がおられたということがうれしい。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-31 23:03 | 雑感
セレンディピティ―(serendipity)というのは、自然科学の世界ではよく使われる。ノーベル賞受賞者の田中耕一さんは、たんぱく質の質量分析手法の発見が受賞理由だが、実験の失敗から偶然にこの手法を見つけたということで有名になった。思いがけないことを発見することあるいはその能力のことである。

与謝野晶子短歌文学賞2013年青春の部入賞作品をみていて、文学作品にもこのセレンディピティ―があるのではないかと思った。

くもり空の校舎から街見ていても仮定法ほど悲しくはない  越田健介

「仮定法」という言葉の斡旋が意表を突く作品で、読者に深読みをさせるいい歌に仕上がっていると思う。音調もいい。「人生の現実は厳しい。仮想の世界で遊べたらいい。」と、とられた歌人もおられる。

直接本人に訊いたわけではないのであくまで想像であるが…。
この「仮定法」が英文法の仮定法であるとするなら、この高校生は教室から曇り空をぼんやり眺めながら、今まさに行われている仮定法の講義に深いため息まじりに「ひぇーこんなにいっぱい覚えなくちゃいけないのかよ!」とつぶやいている様子がビジュアルに見えてくる。「~ほど…ではない= not as…as~」と併せて考えると、英文法の例文のごとき雰囲気も伝わってくる。

古典の助動詞活用一覧表の暗記も苦手な生徒にとっては苦痛以外の何ものでもないが、おそらく越田君は、英語は苦手しかも仮定法のルールにうんざりしているのだろう。

くもり空の校舎(教室)からみる街 < 仮定法
うんざりするような仮定法の文法知識より、どんよりと曇った街のほうが悲しみの度合いではまだましだという叫びすら聞こえてくる。

ただこの越田君の文学的才能は、「仮定法」だけでなく「悲しくはない」という措辞が秀逸であるだけでなく、マイナスをプラスに転化する如く、逃さず短歌として一首を生み出したところにある。まさにかれのセレンディピティ―を感じるのである。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-28 18:10 | 俳句/短歌/川柳

久しぶりの雨

久しぶりの恵みの雨。雨がどんなものだったか忘れてしまうくらい久しく降らなかったような気がする。これからだんだんと秋らしくなってくることだろう。雨の写真を撮るのは難しい・・・・(笑)
a0158075_982331.jpg
a0158075_983425.jpg

a0158075_1745143.jpg


鹿児島中央駅ビルのアミュプラザにある観覧車の前で見つけた詩
a0158075_984971.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-26 09:08 | 雑感

はだしのゲン騒動

松江市教育委員会が、漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を公立小中学校に指示していた問題がマスコミで取り上げている。

2012年12月、「はだしのゲン」の中の、人の首を切る場面や、性的描写など表現が過激だとして、市内全ての小中学校に対し、生徒らの自由な閲覧と本の貸し出しの制限を求めた。と、いう昨年の話らしい。なぜ今ごろになってマスコミが騒いでいるのか不思議だ。

広島への原爆投下や戦後の混乱を描いた中沢啓治作の「はだしのゲン」(1973-85)は、これまで子ども達は制約なしに読むことができた作品である。この作品がいろいろな論議を引き起こしてきたことは事実だが、教育委員会が制限を求めたことはなかったのではないか。松江の子ども達はとくにナイーブだから、もろもろの事情から閲覧制限を出さざるを得なかったという教育委員会の判断があったのであれば、それはそれでいいのではないかと思う。

著者の中沢啓治は、「子どもの心にトラウマをつくり原爆などといった兵器を二度と使わない平和教育をするため…」といったような趣旨のコメントを過去にしている。そのための残虐、卑猥な描写なのだろう。ところがいつものことながら、アメリカの原爆投下を糾弾したい人たち、日本軍の残虐行為を政治的に利用したい人たちが、作品に便乗したところもある。

日本人は、賢明なことに、グリム童話の白雪姫、シンデレラ、赤ずきんちゃんでも原作にある残虐な部分は書き換えて紹介している。「三匹の子豚」は、日本版では、「お湯の中にどぼん~。熱い!!」(Splash! Ouch!)と退散して二度と戻ってこなかった、となっている。原作はたしか、煙突から入ってきたオオカミをぐらぐら煮え立つお湯の中に落として食べてしまうという残酷なものである。日本人的思いやりというか優しさが象徴された翻訳版である。

中学3年生の英語の教科書New Horizon English CourseにあるA mother’s Lullabyは広島の原爆投下を扱った話だが、「原爆=Atomic Bomb」という言葉の代わりに「A big bomb」を使い、どこが落としたのかも書いてない。恐らく、アメリカ人のALT(外国語指導助手)に対する思いやりからなのだろう推察する。英語の授業のたびに自国の過去の過ちを読まなくてはならないのは苦痛だろう。忘れたふりをして国際交流の方に力点を置くやり方ともいえる。

以上のような問題には一顧だにしないマスコミだけに、今回のマスコミ騒動は、閲覧制限によって「表現の自由」が侵されたのではないかという、いわゆる人権派の人たちの申し立てにマスコミが乗っかっているだけという印象をうける。藤圭子の自殺騒動で尻すぼみになるような、その程度の騒ぎである。

マスコミは、取り上げて騒ぐのならもっと背後にあるものを掘り下げてほしい。どのようなやりとりがあって閲覧制限を教育委員会は出すに至ったのか。子供たちへのトラウマの実情はどうなのか。1990年(平成9)の神戸連続児童殺傷事件のあの少年も、この漫画を読んでいたかどうか知らないが、漫画の描写のようなことをして世間を震撼させた。海外20か国語に翻訳されて読まれているらしいが、そちらの事情はどうなのか。いくらでもマスコミが突っ込まなければならない点はあるにもかかわらず、「表現・出版の自由」を制約するなどけしからんという一点張りの論調にはうんざりする。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-23 19:36 | 雑感

入来中緑陰読書会

市内にある入来中学校の緑陰読書会に招かれて読み語りをしてきた。
4人参加のメンバーに加えてもらった。
いつも感じるのは校長先生の、我々ボランティアグループに対する歓待ムードである。もちろん他の先生方もそうである。下手ながらも実力以上のものを引き出してもらえるような雰囲気のなかでやれるのは幸せである。

全校で100人ちょっといるそうだが、夏休み中の出校日なので欠席もいて100人はいなかった。暑い中体育館の中で大型扇風機を5,6台フル回転させながらの読書会だった。

一人の持ち時間が10分ほどなので、『「ほたる」 文 山本真理子」』という、知覧の特攻隊のことを扱った本と、詩を二編ほど紹介した。作品の良さとタイムリーさが受けたようで、終わってからの生徒代表の挨拶で「ほたる」が一番印象に残りました、と言われたときは「よかった」という気持ちでホッとした。

実はこの演目は、ある他のメンバーの得意演目で、きょう参加できないということで替わりに、はじめて読んだものである。多少練習時間があったのが幸いした。あまりに感情移入しすぎると読めなくなるし、無機質に読めば感動も何もあったものではない。そのあたりの加減が難しい作品である。

9月には甑島の小学校、幼稚園に訪問が予定されている。甑島には特別な思い入れもあり訪問が楽しみである。
a0158075_20431897.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-21 20:42 | 読み聞かせ

わら半紙

好きな作家である水上勉(1919~2004)の小説には、越前岡本の紙漉きの里がよく出てくる。和紙に造詣のある水上の面目躍如と言おうか、「閑話一滴」というPHP誌からのエッセイ集に、わら半紙は、その発想のもとは牛糞であり、ボール紙は馬糞、そして竹紙はパンダの糞である書いている。

水上自身がかかわっていた人形劇団の人形の面を、竹材を原料にして作った和紙を利用していることを紹介している。人形本体は竹細工職人に作ってもらい、その廃材を利用できないかというところから始まったらしい。笹だけ食べるパンダの糞から着想して、竹を皮や竹本体まるごと三日三晩煮詰めてドロドロにして、ボンドを少し加えて粘着を持たせて薄く漉くというものらしい。川内の中越パルプが竹紙を開発するはるか以前に、水上は人形劇団の仲間らと手製の竹紙を作っていたとは驚きだ。

わら半紙とは、ウィキピディアによれば、「明治期からは藁を原料とするパルプから製造された洋紙をさす言葉となり、藁を原料としなくなった現在は中質紙や、さらにその下級紙である更紙(ざらし)、あるいは再生紙をさす言葉として慣例的に使われることがある。また、わら半紙の厚手の物を黄ボール(黄板)と言う。」とある。

つまり、わら半紙はわら粘土や漆喰とおなじ原理であろう。
藁を食む牛、草を食む馬、笹を食むパンダ。糞をみて紙の製法に着眼した先人の知恵はすごいと言わざるを得ない。超楽天主義と匠のしつこさが生み出したものだろう。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-20 21:54 | 読書

連用形止め

作家北村薫氏が著書の中で、ある川柳を読み間違えた体験を告白している。

「親類の子も大学を落ちてくれ」(番傘川柳一万句集より)
「落ちてくれ」は、もちろん命令・願望ではなく、「~た。~ました。」が続く連用形止めである。北村氏は、命令・願望で理解して、なんといやな句だろうと思われたそうだ。

ちょっと川柳をやった人なら、古川柳的な響きのこの連用形止めはときどき見かけるので、間違えることはないだろう。口には出さないが、親としての安堵が垣間見える穿ちの効いた句である。最近は句会でも、この連用形止めは直されるのであまり好まれない形のようだ。上記のような誤解を読者に与える可能性があるからなのかもしれない。

ちなみに岸本水府自選百一句をチックしてみると実に20句近くが、連用形止めになっている。蛇足ながら、岸本水府(1892~1965)は、番傘創刊者であり、またグリコの有名な「一粒300m」のコピーライターでもある。

参考までに今年の6月2日に行われた噴煙川柳大会入選句約600句の中に、ざっと見て連用形止めは5句ほどである。明らかに倒置とわかるものを除けば、3句。現代川柳では、古川柳的響きのこの手法はすたれつつあるようだ。

現代風にアレンジすれば、こんなところになるだろうか。
「親類も落ちて笑顔の発表日」
「落ちてから記念受験といういとこ」
「親類も落ち運不運も親戚」
「大試験親類も落ち生き返る」

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-19 17:15 | 俳句/短歌/川柳

夏祭り

地元の最大のお祭りー川祭り。
盛りだくさんで楽しむことができた。
a0158075_22511328.jpg
a0158075_22512876.jpg
a0158075_2251397.jpg
a0158075_22515213.jpg
a0158075_2252458.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-17 22:52 | 今日の一日

水質調査

地元の川祭りに合わせて川の水質調査や生物調査を子供たちと行った。国土交通省の河川事務所から所長さんはじめ他3人が来てくださり、指導していただきながら楽しく調査を終えることができた。今夜の川祭り本番直前に、子ども達が地元の人たちの前で結果を発表する。

水質調査は、透視度や水温、PH(ペーハー)、COD(科学的酸素消費量)、NH4(アンモニウム)等をパックテストなどで調べた。
その後、川に入って網で魚や生物を採集した。モクズガ二、ヒラタカゲロウ、スジエビ、鮎、タカハヤ、・・・・水質を決める指標生物もいっぱい採集できた。

きれいな水、ややきれいな水、きたない水、大変汚い水の4階級(国交省基準)で判断すると、今回の水質は、ややきれいな水と判定された。飲みさえしなければ大丈夫と言える水質である。終わってから子供たちが水遊びしていた。

生活排水が原因の汚れが一番だろうと思われる。もっと上流に行けば「きれいな水」なのだろうが、この流域をきれいな水として維持していくためには、できるだけ生活排水をださないという個々人の心がまえにかかっている。

ちなみに、生活排水で汚れた水を、鯉やフナが棲める水に戻すためにどのくらいの水が必要かと言えば、ちょっと驚きだが次のようになるらしい。
米のとぎ汁 600倍の水が必要
みそ汁   7000倍
牛乳    15000倍
てんぷら油 200,000倍
河川の水質汚濁の原因の約7割が生活排水ということだ。川の自浄能力に限界が来ればてきめんに結果となって現れる。台所からの排出には気を付けなければいけないと思った。
a0158075_1335079.jpg
a0158075_13352621.jpg
a0158075_13354681.jpg
a0158075_13355917.jpg
a0158075_13361616.jpg

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-17 13:36 | 今日の一日

終戦記念日

きょうは終戦記念日。
戦後70年近くたって、総理大臣も戦後生まれ。しかも戦後生まれの人口は総人口の75.5%となり,総人口の4分の3を上回っているそうだ(平成20年10月1日人口統計)。

戦争の悲惨さは、体験者の話や特攻会館や広島・長崎の原爆記念館などを見学しないと薄れてきているというのが実情であろう。大学生でも「日本はアメリカや中国と戦争をしたの?」と能天気なことを言う者もいると聞いたことがある。

薄れつつはあっても、近隣諸国から未だに戦争責任を言われたり、従軍慰安婦問題や靖国参拝問題などが外交問題に発展している状況を考えると、戦争を知らない世代でも考えさせられる。外交交渉のカードにしている面も無きにしも非ずであるが、それだけでもないところが複雑なのである。

きょうの南日本新聞に旧日本軍の化学兵器処理で、ヒ素廃棄物の最終処分問題が未解決であると出ている。南京市を含め現在までに約5万発を発掘回収済みだが、吉林省ハルバ嶺にはまだ30~40万発が埋まっていると推定されるそうな。

日本でも工事現場から不発弾が発見されることがたまにある。東京大空襲ではB29が約300機も飛んできて低空から絨毯爆撃をして焼きつくしたのだから不発弾が出てきても不思議はない。10万人以上が焼死している。鹿児島も3月18日、4月8日の空襲はひどかったそうだ。また広島・長崎では原爆で20万人以上が亡くなっている。戦争の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。

信じがたいのは、戦争末期の3月10日に首都東京が大空襲を受け10万人以上が亡くなっているにもかかわらず、戦争終結の結論が出ていないことである。さらには7月28日に至っても鈴木貫太郎首相は連合国のポツダム宣言の受諾を拒否し、8月6日と9日の原爆投下につながるのである。当時一部の軍人をはじめ政治家の中には総玉砕を考えていたというからあきれる。

政府決定の優柔不断さは戦後処理をうやむやにしてきたところに引き継がれ、今の近隣諸国との軋轢・外交問題になっているように思う。言うべきことは言わねばならないが、やはり戦後処理をするという方向で向き合わない限り解決しない問題に思われる。

[PR]
by attainmentofall8 | 2013-08-15 19:20 | 雑感