日々の雑感


by さむちゃん
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誤訳?珍訳、迷訳?

次の五つの英文は珍訳、迷訳の有名なものです。和訳にチャレンジしてみてください。

1.Love makes the world go round. 世界一周新婚旅行×
2.You can’t eat your cake and have it. おまえ、ケーキなんか食ったら持てないぞ。×
3.Pure ease at winning is boring.                                 気軽に純粋な勝利の得られるのはボーリングである。×
4.This matter is of great importance. この事柄はえらく重要なの。×or△
5.It was only after my Ph.D. examination that I put two and two together.            私があれこれ考え合わせて、自分のこれまでのいろいろな考えをきちんと整理したのは学位試験の直後   であった。×



1 愛は世界を動かす。make O do (Oに~させる)
2 ケーキを食べてなおそのケーキを持っていることはできない
→一度に二つ良いことはない notがどこまでかかるかがポイント
3 楽勝は退屈なものだ。 boring はボーリングではない
4 この問題はとても重要だ。 of +抽象名詞=形容詞「の」は不要(笑)
5 学位試験がすんでから、ようやく私ははっきりした結論を出した。
  It was ~ that ……… の強調構文
(以上別宮貞徳著、誤訳辞典より)

誤訳辞典よりほんの数例を挙げてみたがきちんとした文法知識がないと正確な訳は難しい。最近中高ではあまり文法に時間をかけない傾向があるが、文法なしで習得できるのは母国語のみであるということを心に留めておくべきだ。しかもそれは話し言葉だけであって母国語といえども書き言葉には文法力がなければ書けない。最近の文法無用論はたぶんに文法の学習が目的化していることに対する反動だろう。言語の習得にはレンガを一つ一つ積み上げていくような地道さが不可欠だ。
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by attainmentofall8 | 2010-04-30 22:41 | 英語

ミズキ

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ツリー状の藤です。藤棚風はよく見かけますがこれはちょっと珍しいですね。

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戦前日本がアメリカに贈った桜のお返しにもらったのがこのはなみずきです。英語では dogwood treeというそうです。女の子の名前にも使われる可憐な花なのにdogなんてと思ってしまいますが、この木の皮を煎じれば犬の皮膚病に効くらしいところからきたようです。
いぬのふぐりという草もありますがそれよりはましでしょうか?!

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つつじの花もありました。
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by attainmentofall8 | 2010-04-29 16:32 | 雑感

大学の実力

昨日の新聞報道によれば、大学の情報公開が来春から義務化されるらしい。義務化された情報と大学側の努力義務に委ねられた情報がある。さらにはその二つの範疇に入らないが国際的な観点から公表が望ましい情報がある。

義務化の情報として、
・教員数、教員の保有学位や職務上の実績
・入学者数、在籍者数、卒業者数、卒業後の進路
・一年間の授業計画の概要(シラバス)
・授業料減免の概要
・学生のサークル・団体などの活動状況
・学内の学生支援組織、奨学金の概要

努力義務情報として
・教育課程を通じて習得が期待される知識や能力の体系

最後が国際的に公表したほうが望ましい情報であるが、大学側が渋っている情報として、
・教員あたりの学生数
・各授業の平均学生在籍数
・中退率
・授業科目の体系化
・成績評価基準の大学としての統一方針

大学教員の一人としては、すべて公開してもいいような情報であるが大学が淘汰されるという危惧感をもつ大学があるのだろうか?全国で4年制大学が778校もある時代である。しかも少子化で全入時代突入である。一番肝心な入学してくる学生の質をどのように確保するかという視点がまったくないのが不思議だ。

読売新聞のコラム欄で以前出ていた記事だが、新潟産業大学では大学生に公文式の算数を教えているそうだ。一瞬目を疑ったのだが、算数とするのは大学生のプライドを傷つけるから生活数学としてプリントを何百枚何千枚とやらせて単位も与えているそうだ。公文式の先生になる養成講座ではなく学生自身が算数の一桁の足し算からやる講座だそうだ。これは大学の先生が教えるよりも公文の先生を非常勤で雇ったほうが大学側も経費削減できるのではと揶揄したくなる。まともに大学教育が成り立つのかなとまじめに悩んでしまいそうだ。

要するに、日本の大学のほとんどが定員割れを起こしている状況で喉から手が出るほど学生をほしがっていろいろな入試選抜方式を取り入れて入学させてみたらパンドラの箱になってしまったというところだろうか?!

ゆくゆくは淘汰された大学は、アメリカのコミュニティーカレッジのような地域密着、実技実益重視の授業を組む市民大学のように一般社会人を含めた人々の受け皿になってしまうような気がする。それはそれで重要だと思う一方で従来の大学は大学院にシフトせざるを得ないのではなかろうか。現在の大学はまあせいぜい一般教養を4年かけてやるような位置づけになりつつあるように思う。さらにはいかに学生を育てて伸ばせるかという点が大学の評価されるポイントになるだろう。伸ばし度ランキングでもつくればいい。入学時点の偏差値ランキングよりはるかにいいと思う。

このような環境に大学はあるということを理解したら、学生がやるべきことは得意なこと、好きなことをとことん突き進めていくしかないような気がする。専門であればそれが大学院につながるし、英語の資格試験であれば就職のとき評価してもらえる。
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by attainmentofall8 | 2010-04-28 23:11 | 雑感

赤い万年筆


昭和18年の春から秋口にかけてのある旧制の私立中学校の新入生を主人公に描いた小説である。

主人公梶井信一が中学に入学してからの学業、教師との関わり、友情関係を軸に話は進む。戦況が厳しさを増してくる中で、優秀な人材を残して戦後の復興に寄与させようと考える教師と何が何でも戦地に送り込みたい教師との軋轢もクライマックスを迎える。

いつも胸ポケットに赤い万年筆をいれて持ち歩く図工の渡部先生。もちろん戦中に男性が赤い万年筆など持ち歩くこと自体が独特ではあるが実はわけがあるのである。梶井信一を評価し才能を伸ばしてくれるすばらしい先生だ。
渡辺先生が写生について生徒たちに次のように語る場面がある。「・・・・・ただ物の形を写すだけでは、真の写生とは言えません。それにもっと大事なことは、植物や動物だけでなく石にも山にも、川や海や空にも生命があって、その生命を単に私たちの眼だけでなくて、心でも感じ取って絵筆で表すことなのです。・・・・・みなさん、無生物体にも生命はあるのです。もし何気なく存在しているように見える石や山や川や海、空の奥にひそむ生命を感じ取る心を持つならば、私たちの心はいっそう深く豊かになります。・・・・・」
含蓄のある示唆に富むセリフだ。

実はこの小説は、ペンネーム宮春人を使ってあるが、僕の尊敬する新保昇一先生(早稲田大学名誉教授)の書かれた小説なのである。定年後の70歳過ぎてから処女小説を上梓されたエネルギーはものすごいの一言に尽きる。昨年暮れにいっしょに飲む機会があったが80歳過ぎていらっしゃるにもかかわらず日本酒に関しては僕より強い。半升くらい軽く飲まれる。焼酎では負けないのだが・・・。剣道師範の腕前で今でもかくしゃくとした姿勢で歩かれる。見習いたい人物の筆頭格だ。
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by attainmentofall8 | 2010-04-27 23:27 | 読書

日本語のもどかしさ


4月25日読売新聞朝刊、地球を読むというコラム欄に山折哲雄氏が「人を裁く、償いと赦し菊池寛の洞察」という記事を寄稿している。
一方The Daily Yomiuriでは同じ記事がRepentance must precede leniency(悔悛と懺悔の時間があってこそ赦しがある)となっている。
山折氏の原文は、最近始まった裁判員制度で厳罰化の傾向になっている報道を踏まえ、凶悪犯罪に対して厳罰主義で臨むのか、あるいは否か困難な課題が我々の眼前に立ちはだかるようになっているという趣旨である。

彼は菊池寛の「恩讐の彼方に」と「ある抗議書」という二つの小説と、韓国映画の「シークレット・サンシャイン」をとりあげている。
恩讐の彼方では、旗本の主人を殺した市九郎が懺悔に気持ちから、九州の耶馬溪の大岩壁をくり貫いて道を通そうと悲願を立てる。殺された旗本の息子があだ討ちに現れるが、洞窟の最後の壁が打ち砕かれて光が射し込む場面で息子は一切の怨みから解放される。
ある抗議書は、年配の夫婦を殺した犯人に死刑判決が下されるが、教誨師の言葉で改心しキリスト教に入信して感謝のうちに処刑される。ところが被害者の遺族が犯人の最後を聞いて悲痛な抗議の声をあげるという話である。
韓国映画のほうは、子供を殺された母親が絶望の淵から信仰によって立ち直り赦しの気持ちが出てきて刑務所で犯人と面会する。ところが犯人はすでに神の赦しをえて、神の愛に包まれて感謝の毎日を送っていると言う。その犯人の言葉に驚愕してその母親は発狂する。

この三つには共通の主題が横たわっている。つまり極重の罪を償うには殺された犠牲者の苦悶に匹敵するだけの改悛と懺悔の時間が必要だとする考えである。

山折氏は結局、菊池寛の小説と韓国映画をかりて「凶悪な犯罪を犯した人間が赦されるのは、無限の贖罪行為が積み重ねられたはてにおいて始めて可能になる」ということをいいたいのだろうが、小説と映画の主題はこうだ、背後にはこういったことが横たわっているという表現を使っていて、何を言いたいのかはっきりしないという印象を受ける。英語のタイトルの違いに明白なように日本語は読者に本心を汲み取ってほしい、察してほしいというスタンスの表現形式が自然だからだろう。

英語ではズバリと切り込まないと自分のオピニオンがないような印象を与える。この差が実は国際舞台での日本人英語のもどかしさにつながっているのではなかろうかと思う。
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by attainmentofall8 | 2010-04-26 23:09 | 雑感

卑弥呼に学ぶ100歳


今日、永山久夫氏の講演を聞く機会があった。永山氏は日本人の長寿の秘密を探るべく長寿村を訪ねたりして長年研究されている方である。特に古代食文化に詳しい。本日のテーマは卑弥呼に学ぶ食事。

魏志倭人伝によれば、邪馬台国が栄えた弥生時代後期つまり今から1800年ほど前のころ、倭人(古代日本人)は大変に長寿で「其人寿老、或百年、或八九十年」とある。8、90歳また100歳まで長生きしている人がいるというのである。
倭人長命の背景として魏志倭人伝には「倭地温暖、冬夏食正菜」、後漢書倭伝には「気温暖、冬夏生菜茹」とあるそうだ。両書とも同じような内容で、「倭の国は温暖で、冬も夏も野菜が豊富であり、ゆでる程度のあっさりした調理法で食べている」。菜茹とは今でいうスープにあたるそうだ。
野菜を栄養学的に見ると、ビタミンEやC、カロチン、その他のビタミン類、カリウムなどのミネラル、繊維質などを薬効成分といっしょにとるわけだから料理は簡単なほどその効果は大きくなる。新鮮な野菜には体細胞を酸化させる活性酸素を追い出す役目を果たしている。

新鮮な野菜の摂取量と寿命が比例するのはよく知られており、不老長寿には野菜は不可欠だ。
 
野菜には、走り、旬、名残り、時無しとある。現在の無季節野菜つまり時無し野菜ではなく、季節ものの野菜が理想とのことだ。走りは出始めの10日間、旬は出始めの後の10日間で抗酸化成分が多い、名残りは最後の10日間で熟し柿みたいに酵素成分が多い野菜を言うそうだ。
 
もちろん古代食の基本は、穀類(米、粟、きび、他の雑穀)、豆類、青物、根菜類などのバランスのいい食事だ。
 幸せホルモンといわれるセロトニンを分泌させるために朝日を浴びることと、ナチュラルキラー細胞といわれるNK細胞を活性化するために日常生活の中で前向きに明るく笑いが多くなるような気持ちの持ち方が必要だという。

100歳を目指すのも容易なことではない。日ごろの心がけの積み重ねが結果として100歳という長寿をもたらすといえる。もちろんポックリ亡くなる直前まで自立した老人でなければ100歳まで生きても意味がないのだが・・・。
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by attainmentofall8 | 2010-04-25 21:06 |

45階からの眺望

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市川駅南口にできたツインタワーのうちのウエストタワー45階から眺めた東京方面と国府台方面です。
上の写真中央に見えるのが、今建設中のスカイツリーです。下の写真の中央にある高層ビルは和洋女子大学。
この高さからだと、晴れて条件のいいときは筑波山、富士山が見えます。
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by attainmentofall8 | 2010-04-25 19:03 | 雑感

達人

オイゲン・ヘリゲルは師匠阿波研造に、呼吸は丹田に力を入れてするんだといわれて、呼吸は肺でするものであってへその下にある丹田でしろといわれても生理的に不可能だと得心がいかない。いい加減なことを言うなと心で憤慨する。さらに、的は狙ってはいけない、中てることもそれ以外のことも何も考えてはいけないといわれて、的に中てるには狙わないわけにはいかないと師匠に問い返す。

師匠はヘリゲルに、できないのは不信のせいだと看破する。

ある道の達人の域に達した者に素人が近づこうと思ったら先ずは信じること、絶対的な帰依が不可欠であるということを教えている。
ここで「学ぶ」とは「まねぶ」という「まねる」の古語からきていることの意味がわかる。師匠が「まねぶ」対象と映らなければ弟子はいくら修行をしても師匠の域には達しないということになる。師匠が白といえば白、黒といえばたとえ白でも黒になるわけだ。絶対的信奉が学びの第一歩だろう。不信が揺らぎになり腰の据わらない取り組みになり結局ものにならないわけだ。
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マイムの第一人者カンジヤママイムの藤倉健雄は師匠トニー・モンタナロから次のようなことを言われたそうだ。
マイムで何かの動物(ここでは猿)になりきろうとする時に
”Recall in your memory the image of monkey. Let the monkey take over you and play with your body!"( 猿のイメージを思い起こしてごらん。そしてその猿に乗り移ってもらって君の体を貸して演じてもらうんだよ。)

ある登場人物に台詞を言わせる時、演技指導の本でよくこんな表現が見受けられるそうだ。 
”Let the character live in the situation and savor the dialogue." 
(登場人物にその場面に生身で出てもらい君との対話を楽しんでもらうんだね)

かの有名なミケランジェロが自分の彫刻についてこんなこと言っていたそうです。
My work is to find the ideal image imprisoned in the marble and to release it rather than trying to create the image.
(私の仕事は、大理石の中にもともとある理想のイメージを見つけ出して、そこから彫りだしてあげることであって、イメージを創り出そうとするのとは違います)

師匠方の言説には深遠なものがありますね。
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by attainmentofall8 | 2010-04-24 21:40 | 映画/落語/芸能

パラドックス
弓術の師範、阿波研造(1880~1939)は「不発の射」「宇宙と射と一体」を説き、「弓教」を教えたことで知られる。ドイツ人の弟子、オイゲン・ヘリゲルによれば、射手である自分自身との対決の本質に関して、阿波は次のように説明する。
弓を射るときには「不動の中心」となることに一切がかかっている。そのとき、術は術のないものになり、弓を射ることは弓と矢とをもって射ないことになり、射ないことは弓も矢もなしに射ることになる。・・・・
的はどうでも構わない。狙うということがいけない。的のことも、中てることもその他どんなことも考えてはいけない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべてなるがままにしておくのです。

これがまた西洋人にはまったく理解できない逆説であるとへリゲルは悲嘆にくれる。中てようと意識することで矢は的に中るのが道理だろうと彼は考える。
日本的感覚から考えれば「なる」的な考えが、「する」的な考えよりすっと心に落ちるような気がする。例えば、「お茶を入れました」より「お茶が入りました」のほうが日本的ではなかろうか。あたかもお茶さんが自分でひとりでに出てきたような錯覚さえする。逆に英語では、I made some coffee for you.がしっくりくるだろう。

パラドックスといえば、歎異抄に出てくる有名な「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という一節がある。善人ですら極楽浄土にいけるのだから、悪人が極楽浄土にいけて当然だという考えで、世間一般の考えとは逆の考えである。悪人が極楽浄土にいけるなら善人がいけるのは当然だと一般には考えるが、これは本願他力の考えに反するのである。
善人は善行をつみ功徳を重ねることで極楽往生しようと考えるが、それでは阿弥陀仏の一切衆生済度の本願の対象から外れることになる。逆に、阿弥陀仏にすがる以外、極楽往生する知恵も知識もない悪人のほうが本願の救済にあずかる対象として最もふさわしいとなる。ゆえに、善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をやとなるわけである。
このパラドックスは、論理的に説明がつくが、弓術のほうは言語を超越したところにある神秘的ともいえる逆説であるので西洋人には理解不能となるのだろう。
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by attainmentofall8 | 2010-04-23 23:21 | 英語

日本のパントマイムを代表するといっても過言でない人物にカンジヤママイムの藤倉健雄氏がいる。彼は僕の長年の親友でもある。マイムの芸人さんとはいえウィスコンシン大学から博士号をもらっている教育演劇の大家である。もちろん英語はぺらぺらである。現在全国で公演をこなしながら早稲田大学の国際教養学部で教えてもいる。身体表現としてのマイムと英語教育の伝道師として活躍している。奥さんはハーバードで日本語を教えていたという才媛である。詳しくは<http://www.kanjiyama.com/>をご覧ください。

そんな彼から僕のブログにコメントがあった。奥さんがハーバード大学で教えていたとき外国人の言い間違いというのは腐るほど例があるが、そのうちの何例かを教えてくれたのだ。
日本語の慣用句を使って例文を作りなさいという問題に対して次のようなおもしろい解答があったそうだ。

①うって変わって
彼は覚せい剤を打って変わってしまいました。
②どんより
彼はうどんよりそばが好きだ。
③あたかも
冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。
④まさか~ろう
マサカりかついだ金太郎

さすがにハーバードの学生は間違いも高尚ですね?!(笑)
ハーバードの学生もこんな間違いをするんだったら、もう我々も喜んで間違いをしたくならないでしょうか??
I’m not afraid of making mistakes. 間違いなんてこわくない
I don’t care a damn; what mistakes I make. どんな間違いをしたって屁とも思わない
I enjoy making mistakes. 間違いを楽しんじゃう
I love making mistakes. 間違い大好き
ここまできたらあとは練習あるのみですよ。
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by attainmentofall8 | 2010-04-22 22:06 | 英語