日々の雑感


by さむちゃん
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カテゴリ:ふるさと鹿児島( 147 )

紫陽花と田んぼ

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田起こしを終えて、これから水張り田にかわり田植えが始まります。
道路わきの紫陽花が彩りを添えてほんとにのどかな田舎の光景です。
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by attainmentofall8 | 2016-06-09 15:41 | ふるさと鹿児島

花尾の隠れ念仏洞

花尾のかくれ念仏洞

薩摩藩の一向宗に対する禁制は有名である。一向宗が薩摩に伝わったのが室町時代の中期(1500年ごろ)と言われている。階級社会にあって平等を説く一向宗に薩摩藩は即禁制をしき、その厳しさはたいへんなものであった。

この花尾の洞みたいな山奥の僻地や、舟の上などで法座を開いていたという。この洞のなかは、8畳くらいの広さで本尊や仏具が置かれて、講の人たちが悪天候の時など人気のない時を選んで集まっていたそうだ。定期的な法座や報恩講などが行われていたわけである。

明治初年には、廃仏毀釈のあおりを受け、多くの信者が罰せられて、御本尊も取り上げられたという。
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by attainmentofall8 | 2014-01-23 19:09 | ふるさと鹿児島

美人湯??

マラソンシーズン到来である。来月は「お狩場マラソン10km」、12月は「阿久根ボンタンマラソン、ハーフ」と続く。昨年は、阿久根マラソンの後に高城温泉に友人たち7名で一泊したが、今年から宿泊できなくなった。

かわって今年は、市比野温泉にたいへん歴史のある旅館があると聞いて予約することにした。昭和4年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が、川内出身の改造社社長山本実彦の招待で鹿児島に来た際に一泊した温泉宿として有名なところである。建物も当時のままである。泉質は単純温泉でつるつるのお湯で美人湯といわれているそうだ。九州八十八湯めぐりのひとつに選ばれてもいる。

晶子はこんな一首を残している。
水鳴れば谷かと思ひ 
遠き灯の見ゆれば原と思ふ湯場の夜

鉄幹は温泉宿では歌は残していないようだ。 まあ晶子が彼の最高傑作作品だといわれるくらいだから、飲んでひっくり返っていたっていいのかもしれない…(笑)


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by attainmentofall8 | 2013-10-30 18:32 | ふるさと鹿児島

大隅物産展

鹿児島中央駅前で昨日行われた大隅物産展でみかけた
鹿児島のゆるきゃら「ぐりぶー」

鹿児島三大祭りのひとつ「弥五郎どん祭り」のミニチュア「弥五郎どん」。本物は約5m
25反の梅染めの衣に4m25cmの大小二刀を携え、縦1.7m横47cmの下駄を履いている。
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by attainmentofall8 | 2013-10-14 08:41 | ふるさと鹿児島

香積寺跡

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島津家の菩提寺といえば、玉龍山福昌寺(曹洞宗)であるが、明治2年(1869)の廃仏毀釈で廃寺になった。その後、明治31年に、薩摩川内市に再建されて現在に至っている。

江戸年間に、福昌寺の末寺に香積庵(こしゃくあん)という小寺が東郷町藤川の地にあった。(東郷町は平成の大合併で薩摩川内市になっている。)廃寺になったあと、京順和尚という名僧が惜しんで東郷町南瀬の地に1666年4月に不二山香積寺を再建する。しかしながらこの寺も明治2年に廃仏毀釈で廃寺になり、その後再建されることはなく、歴代住職墓や仁王像、仏像などが、昭和46年に東郷町の指定文化財に指定された、と案内板に記されている。

この香積寺跡地には、周りを畑に囲まれた10坪ほどの墓所があり石像や墓石が20基ほど残されている。近くには、京順和尚自ら彫ったと伝えられる木彫りの像が安置された小屋がある。
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by attainmentofall8 | 2013-09-27 01:22 | ふるさと鹿児島

草抜き隊

田舎住まいでまず考えなくてはいけないのは、防虫対策(蚊・蟻、ムカデなど)と雑草対策である。ドラッグストアの店頭には、それ関連の商品が山のように積まれている。

雑草対策については、個人の宅地・敷地なら本人の意志さえあれば問題はない。ただ公共の場所は、行政や関連部署の対策が間に合わず、ときにはびっくりするようなことになっているところもある。

こういう時、地域のボランティアが実情に合わせてこまめにやってくれれば助かる。自分たちの住む街に誇りが持てるようにもなるだろう。ましてや、観光などで人を呼べるような場所にするには美化運動が不可欠だ。

入来の副田地区に草抜き隊というボランティア団体がある。以前にも紹介したが、草刈り機では除去できない、歩道と車道の隙間に生えた雑草抜き隊である。前回紹介したときよりかなり進んでいるようで効果が現れているようだ。観光だけでなく、国民文化祭や国体を数年後に控えた県や市が、派手なホスピタリティ対策にお金を出すくらいなら、地味ではあるが、このような地道な活動をしている団体を支援することも大事ではなかろうか。
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by attainmentofall8 | 2013-09-06 14:50 | ふるさと鹿児島

旧増田邸

入来麓の武家屋敷群の中にある旧増田邸。増田氏より薩摩川内市が寄贈をうけて約2億をかけ修復工事を行い、大正時代の面影を残す茅葺の邸宅である。今年の4月1日より無料公開を始めているが、昨日やっと訪れることができた。

清色城に隣接した千坪弱の広大な敷地である。延命寺というお寺がもともとあったところらしい。大正、昭和初期には増田家が眼科医院を開業していたところという。邸宅そのものよりも、庭のモミジに興味を持った。真夏に紅葉するモミジがあるのを初めて知った。ネットで調べてみると、出猩々(でしょうじょう)という種類があるそうだ。木の半分が緑葉でのこり半分が紅葉しているのも興味深い。接木でもしてあるのだろうか。

たまたま訪問者が一人だったので、邸宅常駐のガイドさんが邸宅について懇切丁寧に説明してくれた。ただモミジについては、落葉に閉口しているというだけで品種などについては知らないという。
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by attainmentofall8 | 2013-07-21 19:21 | ふるさと鹿児島

喜入、指宿方面

全英オープンゴルフのパロディー版ゴルフ大会に、全えい(頴娃)オープンゴルフ大会というものがある。毎年喜入カントリークラブで開催されてきて今年は25回目。いろいろなお付き合いから、初めて参加してみた。結果はノーコメント。
予選敗退ということにしておきます。(笑)

せっかく指宿方面に出かけたので、川柳仲間のエイコウさんのご自宅を訪ねた。歓待して頂き、自慢の絵や写真、温室を見せていただいた。さつきやアイリス、蘇鉄などが30坪ほどの温室にぎっしり詰まっている。こんな素晴らしい趣味をたくさん持っていらっしゃるのに、本人いわく、一番の趣味はカラオケだそうだ。一度ご一緒したことがあったが、さすがに素人とは思えないほどうまい。

おみやげに額縁入りの箴言を戴いた。経営者や地域ボランティアとして貢献されてきたエイコウさんお気に入りの箴言らしい。あやかりたいものだ。
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by attainmentofall8 | 2013-07-15 21:01 | ふるさと鹿児島

日暮長者屋敷跡

当ブログで以前紹介した日暮長者伝説。薩摩川内が唯一舞台になっている謡曲の曲目や能の演目「鳥追舟」のもとになった悲話である。川内川の支流平佐川の河口に母合橋という橋がある。その橋のたもとに石像や石碑がある。

教育委員会が建てた石碑には次のように書かれている。
母合橋
昔、ここは「母逢いの渡し」と呼ばれ、この地にまつわる伝説が残っています。室町時代の謡曲「鳥追舟」であり、江戸時代の三国名勝図会の「日暮の里」であります。
三国名勝図会には「宮里村に母逢川あり其の渡口を母逢の渡と号す、又二人の子、母を慕ひて此の川涯に至り、岸を隔て母に見え、甚だ悲嘆せるよりの名なりとぞ・・・」とあり、有名な日暮長者伝説の地であります。
向田町日暮岡に日暮長左衛門という長者が住んでいました。
この長者には、今の宮里町清水生まれの柳御前という妻と、娘お北と息子花若丸の二人の姉弟がいて幸福な日々を送っていました。
長者の家臣左近尉は悪巧みをして柳御前と離婚させ、左近尉と親しいお熊の方と結婚させました。その後長者は土地問題で京に行き十年余の歳月が流れ、その間左近尉とお熊は二人の姉弟にきつく命令し田に集る雀の群れを追わせていました。
来る日も来る日も、雨の日も風の日も鳥追舟に乗って雀を追わなければなりませんでした。あまりのつらさに思いだすのは母柳御前のこと、母も我が子二人が恋しくてたまらず、三人は人目を忍んでは母逢の渡しで川をはさんでいつもこの川岸に出て逢って共に涙を流していたという悲話の秘められた地であります。
現在の橋は、平成元年に架けられた近代的な橋でその名称も「母合橋」と記され、橋の親柱には伝説を物語る母と子が対面する姿、欄干には雀を追う姉弟の姿等がデザインされ当時を忍ばせています。
    平成三年三月 川内市教育委員会

その日暮長者が住んでいた屋敷跡が、川内小学校の裏手の高台にある。鳥居をくぐると小学校の施設と思われる遊具や、土俵まである。巨大な招魂碑も建てられている。そのさらに上の方に、屋敷跡と思われるような、石垣積みの一角がある。写真のとおり、現況は雑木林であるが、謡曲や能の「鳥追舟」を生んだ日暮長者の屋敷ということで感慨深いものがある。
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by attainmentofall8 | 2013-07-12 11:56 | ふるさと鹿児島

丹下ウメ

鹿児島山形屋横に丹下ウメ博士の胸像がある。
たいていの人が、説明書きを読むまでは、どんな人なのかわからないだろう。

明治6年、鹿児島市生まれ。日本女子大学の家政科一回生で卒業後、東北帝大に入学。その後、スタンフォード大学に留学。東大から「ビタミンB2複合体」で農学博士号を受け、日本女子大学の教授を務めた方だそうだ。当時は、女子を受け入れてくれる帝大は東北帝大しかなかったらしいからかなりの秀才だったはずだ。それにもまして、家庭的にも財力のある家だったようだ。

幼少時に片目を失明と書いてある。失礼ながら、大河内傳次郎の丹下左膳(映画にもなった隻眼隻手の侍)を思い出した。昭和30年(1955)没とある。「82歳まで独身の血潮を学究一筋に注いだ」と称賛してある。
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by attainmentofall8 | 2013-06-11 23:33 | ふるさと鹿児島