切れ字の「や」
2016年 10月 14日
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
切れ字を二つ使った例としてよく取り上げられる俳句だが、教科書にも掲載されている。先日の句会で、この句には似たような先行句があったということを知った。
獺祭忌明治は遠くなりにけり 志賀介子
中七と下五が同じなので盗作のように言われるが、「明治は遠くなりにけり」は、昭和になって「明治を懐かしむ」自然な気持ちとして出てきたフレーズではないだろうか。
しかも後者は、子規の忌日の獺祭忌を使っているので、子規にまつわる文学的な風潮が薄れてきたと慨嘆しているような響きがある。季語によって限定された句に仕上がっている。
一方、草田男の句は、切れ字をダブルで使った悪例と酷評する向きもあるが、大胆に推測するにこの「や」は詠嘆ではなく「並列」の「や」と考えることも可能ではないか。
つまり、「降る雪」はそれに象徴される何か大きな事件と理解すると、人間の忠義やその時代時代の特徴的な人間性を示唆していて、大正・昭和とそれが失われつつあることに慨嘆しているようにも思える。
これは、切れ字を二つ使うことは制約の多い五七五の世界では愚かなことだという共通認識の下での大胆な推理である。草田男はあえてそれにチャレンジしたのだろうか?!
切れ字を二つ使った例としてよく取り上げられる俳句だが、教科書にも掲載されている。先日の句会で、この句には似たような先行句があったということを知った。
獺祭忌明治は遠くなりにけり 志賀介子
中七と下五が同じなので盗作のように言われるが、「明治は遠くなりにけり」は、昭和になって「明治を懐かしむ」自然な気持ちとして出てきたフレーズではないだろうか。
しかも後者は、子規の忌日の獺祭忌を使っているので、子規にまつわる文学的な風潮が薄れてきたと慨嘆しているような響きがある。季語によって限定された句に仕上がっている。
一方、草田男の句は、切れ字をダブルで使った悪例と酷評する向きもあるが、大胆に推測するにこの「や」は詠嘆ではなく「並列」の「や」と考えることも可能ではないか。
つまり、「降る雪」はそれに象徴される何か大きな事件と理解すると、人間の忠義やその時代時代の特徴的な人間性を示唆していて、大正・昭和とそれが失われつつあることに慨嘆しているようにも思える。
これは、切れ字を二つ使うことは制約の多い五七五の世界では愚かなことだという共通認識の下での大胆な推理である。草田男はあえてそれにチャレンジしたのだろうか?!
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心はすべて数学である
at 2020-07-04 04:55
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地の雲や カオスを映す 水たまり
「心はすべて数学である」津田一郎著の本の題名です。
「ぼくと数学の旅に出よう 真理を追い求めた1万年の物語」ミカエル・ロネー著山本知子+川口明百美訳の ≪フリーズに施された幾何学操作の七つのタイプ≫に、
≪…垂直対称と半回転とすべり鏡映を組み合わせたタイプ…≫で、≪…入れ子構造…≫との記述がある。
『刀札』の『身体がする数学』(でんぐり返り)で自然数の数直線が出来ていると⦅気が付いた⦆。
そして、言葉の記述の[量化](主語と述語の関係)と数の言葉の自然数の[量化]の違いに⦅気がついた⦆。
本書の≪…「マイナス掛けるマイナスはプラス、これは正しい」と。なぜなら、このきまりに従って計算すれば、いつも正しい答えに行き着くのは明らかなのだから。≫とある。
『刀札』の数直線で、『身体がする数学』として[運動方向]で捉えると分かり易い。
また、掛け算と割り算の関係で、≪…「掛ける(multiplier)]って言葉、・・・「増やす(multiplier)」って言葉とは少し意味合いが違うから。…≫とあり。
言葉での[量化」と数の[量化]の[意味](=)が掴める。
「1]と[0」には、特別な[本性](『数学的な作用素』)の機能がある。
本書の≪…0を使いこなすところまではいかなかった。…≫とある。
本書の≪…代数的構造の定義として「演算は可換である」…≫は、『自然比矩形』に
十進法の基での桁表示の西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)を≪…数学的要素…≫とすれば、『もろはのつるぎ』の物語が、自然数の[量化](順序性・大小関係・量(連続性))として、感じていただけるのではないでしょうか?・・・
数学思考は、[点・線・面]の[量化]として眺めれば、
『自然比矩形』では、[e]と[1 2 3 4]と[+ - =]の[数式]が生まれ、
[球」には、[π]の係数(× ÷)として、[1 2 3 4]が顕れる。
この[数学概念]は、どんなに[拡大・縮小]しても[普遍]に観える。
[1]の[本性]は、分かりずらい。
黄金比 橋掛け渡し 自然比へ
数の言葉は、カオスとコスモスとを行き来できるようだ。
「心はすべて数学である」津田一郎著の本の題名です。
「ぼくと数学の旅に出よう 真理を追い求めた1万年の物語」ミカエル・ロネー著山本知子+川口明百美訳の ≪フリーズに施された幾何学操作の七つのタイプ≫に、
≪…垂直対称と半回転とすべり鏡映を組み合わせたタイプ…≫で、≪…入れ子構造…≫との記述がある。
『刀札』の『身体がする数学』(でんぐり返り)で自然数の数直線が出来ていると⦅気が付いた⦆。
そして、言葉の記述の[量化](主語と述語の関係)と数の言葉の自然数の[量化]の違いに⦅気がついた⦆。
本書の≪…「マイナス掛けるマイナスはプラス、これは正しい」と。なぜなら、このきまりに従って計算すれば、いつも正しい答えに行き着くのは明らかなのだから。≫とある。
『刀札』の数直線で、『身体がする数学』として[運動方向]で捉えると分かり易い。
また、掛け算と割り算の関係で、≪…「掛ける(multiplier)]って言葉、・・・「増やす(multiplier)」って言葉とは少し意味合いが違うから。…≫とあり。
言葉での[量化」と数の[量化]の[意味](=)が掴める。
「1]と[0」には、特別な[本性](『数学的な作用素』)の機能がある。
本書の≪…0を使いこなすところまではいかなかった。…≫とある。
本書の≪…代数的構造の定義として「演算は可換である」…≫は、『自然比矩形』に
十進法の基での桁表示の西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)を≪…数学的要素…≫とすれば、『もろはのつるぎ』の物語が、自然数の[量化](順序性・大小関係・量(連続性))として、感じていただけるのではないでしょうか?・・・
数学思考は、[点・線・面]の[量化]として眺めれば、
『自然比矩形』では、[e]と[1 2 3 4]と[+ - =]の[数式]が生まれ、
[球」には、[π]の係数(× ÷)として、[1 2 3 4]が顕れる。
この[数学概念]は、どんなに[拡大・縮小]しても[普遍]に観える。
[1]の[本性]は、分かりずらい。
黄金比 橋掛け渡し 自然比へ
数の言葉は、カオスとコスモスとを行き来できるようだ。
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attainmentofall8 at 2020-08-13 06:18
「 心はすべて数学である」さん、コメントありがとうございます。しばらくブログお休みしていました。すみません。
by attainmentofall8
| 2016-10-14 21:30
| 俳句/短歌/川柳
|
Comments(2)