羽島
2012年 09月 10日
串木野の羽島に、江戸末期(1865年慶応元年4月17日)に薩摩藩からイギリスに留学した若者たちが船出した場所がある。現在、記念碑がたち観光名所になっている。当時国禁であった海外渡航を脱藩という形で隠密裏に行う。最年少の13歳長沢鼎ほか19名の留学生は薩摩をいや日本を背負って出国したのである。そして彼らは命を賭して懸命に西洋文明を吸収する。のちに新制日本の発展に大きな貢献をするのである。
例えば、森有礼は初代文部卿、寺島宗則は初代外務・文部卿、村橋直衛はサッポロビールの創業者、畠山義成は開成学校(のちの東大)の初代校長、中村博愛はオランダ行使、五代友厚は実業家。
鹿児島中央駅前のブロンズ像はこの若き薩摩の初代留学生たちを記念して建てられたものである。
例えば、森有礼は初代文部卿、寺島宗則は初代外務・文部卿、村橋直衛はサッポロビールの創業者、畠山義成は開成学校(のちの東大)の初代校長、中村博愛はオランダ行使、五代友厚は実業家。
鹿児島中央駅前のブロンズ像はこの若き薩摩の初代留学生たちを記念して建てられたものである。
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kanjiyama at 2012-09-10 22:11
本当に現代の(自分も含めて)甘い留学生と違って命がけ、そして国の運命を背負っていましたよね。本当に頭が下がります。
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attainmentofall8 at 2012-09-10 23:19
ほんとそうですよね。覚悟が違いますね。切腹の思いが常にあったからじゃないでしょうか。
by attainmentofall8
| 2012-09-10 21:01
| ふるさと鹿児島
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Comments(2)