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日々の雑感


by さむちゃん
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全日本女子バレーボールチームの合宿

全日本女子バレーボールチームが合宿をするために薩摩川内にやってくるそうだ。今月の26日~7月4日まで、以前このブログで紹介したサンアリーナせんだいで合宿を行い、公開の紅白戦も行うという。

たまたま7月号の文藝春秋で「東洋の魔女 河西昌枝」を読んだ後だったので、せっかく来るのだから紅白戦くらい見学しようかなという気になった。バレーは経験したこともないし特に興味もないのだが、河西が言う「現在の高度に複雑化したバレー」を見てみたいという好奇心が湧いてきたからである。

河西昌枝は、東京オリンピックで金メダルをとった女子バレーボール日本代表チーム主将である。僕は残念ながらリアルタイムで見た世代ではない。1956年の経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」から8年経ち奇跡的な経済復興を遂げ先進国の仲間入りをする格好の舞台が東京オリンピックだった。

国民の期待を背負ったプレッシャーのなかで、強豪ソ連を破り金メダルを勝ち取ったのが「東洋の魔女」といわれる、大松博文監督率いる女子バレーボールチームだった。当時ソ連と言えば、終戦直前に日ソ不可侵条約を破って参戦し、戦後は日本人をシベリヤに何十万人も抑留して強制労働させた忌まわしきイメージの国である。国民が歓喜したのもわかる。

東京五輪の前の世界選手権で日本チームはソ連を破り世界一になっているとはいえ、五輪に合わせてソ連も練習してきているし緊張度が違っただろう。会場の駒沢屋内球技場の張りつめた静寂がビジュアルに浮かんでくるような気がする。

彼女たちには絶対的な練習量に裏付けされた自信のようなものがあったという。当時の日紡は3時に仕事をあがりその後深夜の12時くらいまで練習していたそうだ。時には翌朝になることもあったという。そんな猛練習でも朝は7時起床、8時出勤だったそうだ。

これは以前読売新聞にでた記事だが、決戦前前夜に長嶋茂雄が宿舎を訪ねて励ましてくれたそうだ。翌日には長嶋からいっぱいの果物の差し入れがあったという。試合当日、大松監督は選手たちにこう言う。「お前たちは勝とうと思うな。勝てるようにやってきたのだから、やれば勝てる。」

平均身長で10センチも違う小兵の日本女性が奮戦しているのを考えただけでも、歓喜の涙が出てくるような感動をおぼえる。当時の日本人を欣喜雀躍させ、勇気と希望を与えたことに疑いはないだろう。47年経ったいま女子バレーがどんな進化を遂げたか興味津々である。
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by attainmentofall8 | 2011-06-17 23:18 | 雑感 | Comments(0)