薩摩人のユーモア
2011年 05月 28日
昔、薩摩の男は三年片頬と言われるくらい感情を顔に出さないのを美徳としたところがある。相好を崩すなどとんでもないことである。三年に一回くらい片方の頬がちょっと緩むくらいがちょうどいいということである。しかし笑うこととユーモア感覚を持ち合わせているかどうかは別ではないだろうか。むしろユーモアの才には長けていたのではないかと思う。
強権支配者の下にいる被支配民は皮肉や諧謔、あてつけなどの感情を含むユーモアの感覚が研ぎ澄まされてくる傾向があるようだ。そうすることで心身のバランスを取っているのかもしれない。そう考えると島津の圧政下において、表情には出さないがユーモアでもってしのいでいたという仮説もあながちはずれていないだろう。
このことに関連して15代沈壽官さんが、200年11月、鹿児島純心女子大学で開かれたシンポジウム「Let’s 発見!世界の『薩摩』」のなかで面白いことを言っている。
幼少のあるとき、窯焚きを手伝っている最中におじさんが「人間の身体でどこが蚊に刺されていちばん痛いと思うか」と訊いてきたらしい。彼は、足先と指先がいちばん痛いと言う。このおじさん片足だが、無くした足先が今でも痒いという。緊張感のある現場で雰囲気を和らげようという意図からだろうが、クスッと笑ってしまうような話である。
もう一つはパネリストの古閑氏がこんな話を紹介している。西南戦争の末期、西郷軍が敗走して宮崎県の非常に険しい山、可愛岳(えのたけ)を越える際のことである。真っ暗な山の峰を登っていく途中、手探りで這いつくばって進む闇の中、生きるか死ぬかの行軍である。西郷は「夜這いにいったごたんなあ~」と言ったという。
一気に緊張の糸は切れ、敗走の中ではあるが一種の諦観みたいなものが生まれたのではないだろうか。良きにつけ悪しきにつけ西郷どんの偉大なところである。
強権支配者の下にいる被支配民は皮肉や諧謔、あてつけなどの感情を含むユーモアの感覚が研ぎ澄まされてくる傾向があるようだ。そうすることで心身のバランスを取っているのかもしれない。そう考えると島津の圧政下において、表情には出さないがユーモアでもってしのいでいたという仮説もあながちはずれていないだろう。
このことに関連して15代沈壽官さんが、200年11月、鹿児島純心女子大学で開かれたシンポジウム「Let’s 発見!世界の『薩摩』」のなかで面白いことを言っている。
幼少のあるとき、窯焚きを手伝っている最中におじさんが「人間の身体でどこが蚊に刺されていちばん痛いと思うか」と訊いてきたらしい。彼は、足先と指先がいちばん痛いと言う。このおじさん片足だが、無くした足先が今でも痒いという。緊張感のある現場で雰囲気を和らげようという意図からだろうが、クスッと笑ってしまうような話である。
もう一つはパネリストの古閑氏がこんな話を紹介している。西南戦争の末期、西郷軍が敗走して宮崎県の非常に険しい山、可愛岳(えのたけ)を越える際のことである。真っ暗な山の峰を登っていく途中、手探りで這いつくばって進む闇の中、生きるか死ぬかの行軍である。西郷は「夜這いにいったごたんなあ~」と言ったという。
一気に緊張の糸は切れ、敗走の中ではあるが一種の諦観みたいなものが生まれたのではないだろうか。良きにつけ悪しきにつけ西郷どんの偉大なところである。
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ちんねん
at 2011-05-29 22:37
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ユーモアって大事ですよね。まじめくさってばかりではおもしろくないです。アー言えば、コー言う位がいいのかもしれません。
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attainmentofall8 at 2011-05-30 07:48
ちんねんさんのブログもユーモアあふれるQoo& Jam物語みたいなものですね~。
by attainmentofall8
| 2011-05-28 20:21
| ふるさと鹿児島
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Comments(2)