篤姫生家と小松帯刀の墓
2011年 04月 30日
NHKの大河ドラマにもなり一躍有名になったが、篤姫は島津本家の出ではなく今和泉家の忠剛の子一子(かつこ)である。1853年に島津家28代当主島津斉彬の実子篤姫として幕府には届けを出し、1856年には近衛忠熙(ただひろ)の養女になり同年12月に徳川家定に輿入れしている。
幕末から明治維新にかけて活躍し幻の宰相と言われる小松帯刀の墓が現在の日置市吉利にある。小松家の菩提寺園林寺(おんりんじ)跡に、小松家歴代の墓と並んで帯刀の墓や妻お近、第二夫人琴子の墓もある。琴子の小さな墓石の裏に小松帯刀妾と彫ってあるのには驚いた。
園林寺のすぐ近くに清浄寺という寺がありそこには数年前にできたという大きな小松帯刀像が建立されている。吉利小学校の校門脇にもやはり像が建っているそうでこの界隈では神か仏のように尊崇されているのがわかる。
by attainmentofall8
| 2011-04-30 09:29
| 歴史
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